Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

コロナ禍が示す中小企業の重要性

  コロナウイルスの蔓延による経済活動の停滞は、中国や一部欧米諸国のようなシャットダウン(他国に構っていられない~新型コロナ爆発的拡大で「鎖国状態」のEU(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース)ではないものの、日本企業に対しても真綿で首を締める様に影響を与え始めている。観光業や特定のサービス業、イベント・ホテル、そして航空・クルーズ業界などは既にかなり大きなダメージを受けている。アメリカはいち早く2兆ドルの経済支援策を議決した(トランプ氏、2兆ドル規模の経済対策法案に署名 新型ウイルス - BBCニュース)が、日本は様子見と裏調整をしていて具体策はなかなか決まらない(新型コロナ「長期戦覚悟を」 状況悪化なら学校再開見直しも―安倍首相会見:時事ドットコム)。これは民族性もあろうが、感染状況のシビアさが異なっていることも背景にあるだろう。

 

 社会的混乱を収拾するための政策立案と遂行が第一ではあるが、今回のような感染症に対する社会システムの脆弱さについても同時に検討が進められている。この問題に対する認識はアメリカも日本も同じであろう。一つには公衆衛生や薬等については、基本的に自国で賄えるようにという考え(中国依存品、国内生産で補助金 マスクや半導体関連 :日本経済新聞)である。既にマスクや人工呼吸器については報道も出ているが、真面目に考えればかなりの生産拠点を自国に移す必要がある(焦点:医療用手袋が世界で不足、最大の生産国マレーシア封鎖 - ロイター)。これは、様々な投資を受け入れてきた新興国にとっても打撃と言える。

 同様の議論して食糧安保食料安全保障 - Wikipedia)もあるが、議論はされても対策にまで進まないのがこれまでの出来事であった。だが、今回の災厄を経て国民の理解も大きく進むであろう。加えて、いざというときの同盟国とのつながりを深めるブロック経済的な活動(環太平洋パートナーシップ協定 - Wikipedia)も活発化すると見る。アメリカのように鎖国の可能な国ならともかく、日本の場合にはエネルギーと食糧が100%賄えない国家はこうしたグループ化は不可欠である。

 問題は、どこと組むのかということ。価格や便利さで中国への投資を行ってきたが、そのリスクをまざまざと見せつけられた形である。更には、経済的な効率化のみを追求するグローバル化に対する反省も、今後に活かされると思う。

 

  さて、内製をする場合にはそれが大企業のみで賄えるのかという問題がある。大企業は効率化(生産性)追求のため、コストをギリギリまで切り詰め余裕のないシステムを求めてきた(「日本は生産性が低い」最大の原因は中小企業だ | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準)。一方の中小企業は、社会構造的な位置づけからコストを切り詰めることが難しい。もちろんIT化の推進等により、今よりも効率化が進めらえないわけではないが、それで日本の労働生産性が飛躍的に伸びるとは思えない。私は労働生産性を追求することの全てを否定しないが、それが社会の豊かさや生活する人の豊かさを代弁しているとは思わない。

 効率化の権化であるアメリカには、社会福祉に浴することができない人(よくある質問 - 健康保険USA)が数多くいるのを今回目の当たりにした人も多いだろう。すぐに首を切られ(米企業、人員削減に着手 航空・観光関連―新型コロナ影響:時事ドットコム)、路頭に迷うシステム(米国で新規失業保険申請件数が3月第2週に急増、今後さらに増える可能性(米国) | ビジネス短信 - ジェトロ)を効率的と言えなくもない。だが、それをその国に住む人々が好むのかはまた別の話。加えて、日本でも余分と言われたCT機器がコロナ検査に生きるなど、人間社会という歯車には多少の遊びが必要である。普段は無駄と思われるものでも、遊び(バックラッシュ (機械) - Wikipedia)を無視(削除)することの怖さを思い知ったのではないか。

 

 確かに、大部分の中小企業は技術革新にも寄与せず、独自技術開発にも不熱心かもしれない。後継者不足で消えていく企業も少なくないし、後継者がないのは利益が出ないためであるというのも理解しやすい。だが、そういう企業が培ってきたノウハウも生きる時がある。あるいは社会の緩衝材として機能するケースがある。更には、地域社会を構成する一要素であったりもする。全てを救えと言うつもりはないが、国としてどの様な中小企業を保護するかと言う議論はあってもよい。成長視線のみではなく、ディフェンシブな視点も含めて幅広く。ただ、こうした内容は護送船団方式などと、これまで散々批判されてきた政策手法でもある。日本の産業・社会安保という視点である。

 グローバル化という経済効率化一筋の社会ほど、イレギュラーに弱いものはない。今回のコロナ禍でも、社会的に受ける損害は日本よりもアメリカの方が多いのではないかと個人的には感じている。特に、目に見えるものだけではなく心理的なものも含めて。何度かここで書いてきたが、「進化」という言葉は言い換えると「特化」でもある。特定の環境に最適化していくのが進化と呼ばれ、その環境が続く限りは最も効率的な姿に変わっているが、環境が変わった瞬間に最適ではなくなる。ギャンブルの一点賭けのようなもので、そのスタイルが通用する限りの運命である。超長期のスパンでの視点を社会構成のベースに据えなければならない。かつての社会はそれを行っていた。

 

 日本の不況は、大企業中心の国際間競争を行う体系の中で進んできた。これは、ある意味やむを得ない流れだったかもしれないが、現在アメリカが取り組んでいるような産業の国内回帰を政策として掲げれば、少しは防げたかもしれないという気がしている。

 小さく、立ち回りが容易な企業だからこそできるチャレンジがある。ベンチャー系企業かもしれないし、歴史ある企業かもしれない。時には大企業により買収されることもあろうし、地元に根付いて生き続けるかもしれない。だが、大きな利益はなくとも続ける企業があることで日本社会の柔軟性が担保できるとすれば、その方向性を日本政府が定めて活かすことも考えなければならない。何も、全て新しい産業を生み出すだけではないのだ。

 逆に、中小企業にも頭を使うことで生き延びられるという道筋や、可能性が広がることを期待したい。結果として、それが中小企業の競争力や社会的価値を再認識させる。現在のサプライチェーンが大企業中心に組み立てられ、中小企業が追いやられてきた。繰り返しになるが、世界的な競争を考えるとある程度やむを得ないが、国家が最も栄えると感じられるのは中小企業が元気な時であると私は思う。それが国民に好況感を実感させる。

 今回のコロナ危機は、全ての産業を過度の競争にさらしてはいけないという明らかな証拠になったのではないか。全ての中小企業を救えと言うつもりはないが、何らかの新たな国家戦略としてのスクリーニングを確立すべきだろう。