Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

黒船コロナによる令和維新

 自粛効果が効いてきたこともあって、新規感染者数が相当抑制されてきた(政府 39県の緊急事態宣言解除を諮問 愛媛は議論 新型コロナ | NHKニュース)。PCR検査不足の話は今もメディアから聞こえてくるが、やみくもに増やしたからと言って感染者抑制が成功するとは限らない。重要なのは、PCR検査が不足している(していた)のが東京を中心とした大都市圏であること。また、コロナ患者がコロナ以外の死亡者数に紛れているという主張も、確かにそれがゼロとは思わないが、欧米ほどではないのも間違いない事実であろう。検査は一つの重要なキーではあるが、すべてではないというだけのこと。

 当初(2~3月ごろ)より書いているが、理由にはさまざまあるだろうが結果的に日本は世界と比べると低い致死率となり、中国のような強制力を伴わない日本方式での対処を行い、それなりの結果を得つつある。目覚ましいものではないし政府が十分に上手くやったとも言わないが、おそらくは何らかの幸運にも助けられ(BCG有無でコロナ死亡率「1800倍差」の衝撃 日本や台湾で死者少ない「非常に強い相関」〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース新型コロナ BCGワクチン“予防効果なし” イスラエル研究G | NHKニュース)日本人の同調力が効果を発揮しつつ、悪い結果ではないというのが相対的な評価ではないか。同調力が悪い方向に発散している例(弘前で「地元在住知らせる」マグネットシート販売へ 「他県ナンバー狩り」対策に(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース)もみられるのは良くない方向への発露だと思うが、これだけの緊急事態では少しであれば生じ得る話であろうとも感じる。

 

 さて、これも当初より書いてきたことではあるし、一部の有識者も既に触れてきた内容だが、コロナウイルスは人間社会に定着するであろうこと(WHO、新型コロナ「消滅しない可能性」 終息に長い道のり - ロイター)も、だんだんと話に出るようになってきた。すなわち、コロナ後も社会は元通りにはならないということを意味する。コロナウイルスが弱毒化することで人類に無害に変わっていくという可能性もあるし、強力なワクチンが開発されて脅威が軽減できる可能性も確かにある。だがメインシナリオは、インフルエンザよりもやや強い(数倍から10倍程度の致死率の)新たな季節性感染症が日常的なレパートリーに加わるということ。さらに悪い想像をすれば、一度罹患すればコロナと一生付き合わなければならないという可能性すらもある(何度も再発するようなケース)。

 これに対し、人間社会はどのように向き合うのか。それが現在問われ始めている。政府に期待する財政支出や各種支援は、社会が元に戻ることを前提にしたものである。コロナが消えないという前提に立てば、それは今後も残るコロナの脅威を受け入れるという考え方につながる。極端なことを言えば、ブラジルやスウェーデンのように過激な対応をせずに自然に任せるという手法である。だが、同時にコロナの脅威すなわち私たちが感じる恐怖感は、人々の行動をいつの間にか変えていく。すなわち、政府がどのような対応をしようともコロナウイルスが消え去らなければ、社会の在り様や仕組みは間違いなく変わる。変わらざるを得ない。

 

 私たちの行動が変わる、変えなければならないというメッセージは、緊急事態宣言を解除しても当面は変わらない。自粛により抑え込んだ流行も、それを解除すれば再び出てもおかしくはない(中国、北朝鮮国境近くの都市封鎖-新型コロナのクラスター拡大 - Bloomberg韓国・文在寅、梨泰院のクラスター発生で新型コロナ第2波に警戒感 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)。また、仮に日本での封じ込めができたとしても、世界中で消えなければ気を抜くと再び襲い掛かってくる。ワクチンにしても、多くの人に提供できるようになるのは1年から2年先というのが最短での予測であり、それ以上かかってもおかしくはない。スペイン風邪の様に次の冬により強烈な第二波が来る可能性もある。

 すなわち、社会はコロナ以前とは同じではいられないのだ。そのことを私たちがしっかりと認識し、受け入れること。言われて嫌々変える行動ではなく、それ以前の意識そのものが変わることが重要である。具体的に意味するところは、企業や商売の形態変化を受け入れること。既に、既存事業を手じまいしてポストコロナへの新たな取り組みを想像しているところは少なくないと思う。あるいはそのための方法を講じ始めているところはもっとあるだろう。私たちは、今まで通りではいられないということをいかに早く自覚・認識できるかが重要なポイントとなる。

 これまで通りいられないとはいっても、人の生活を構成する衣食住や娯楽そのものがなくなるわけではない。むしろ、新たな形にあったニーズは間違いなく存在する。そもそも商売とは需要があって初めて成立するのであって、供給側の論理が通用するのはよほどの寡占状態か、それでも良いと考えられるだけの価値がある場合に限られる。それを素直に解釈すれば、新たな需要(ニーズ)を探しだして、それに向けて業態を変えていくことが必要ではないか。通常の社会のリズムでは、それが徐々に進行していくが、今回はコロナという外圧により変わっていくのである。ペリーにより日本が国際社会の荒波に巻き込まれたように、コロナにより私たちは大きく変わる時代に立たされた。どれだけ昔を懐かしんでも、この変化を避けることはできない。

 

 さあ、私たちはみうからの意識変容により行動を変えるのである。政府が言う行動変容は当面のパッチに過ぎない。むしろ、自らが状況を考えて何を行うべきかという命題に向き合わなければならない時代が来た。それを早く成した人から、ポストコロナの時代に適応していくのである。