Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ポイントを押さえる嗅覚

 前回の頭の良さについての続きのようなものだが、網羅的な勉強(あるいはパターンに従った体系的な知識取得)が子供のころ評価される頭の良さだったとして、大人の評価されるべき頭の良さは、最終的な成功が求められるのは言うまでもないがその前段階として、的確にポイントを押さえる嗅覚を持っている(養ってきた)かというポイントにあると思う。

 例えば、スポーツ選手における得点感覚であるとか、全体を見渡しコントロールする力であるとか。起業家の、将来を見越した新発想や新分野へのチャレンジであるとか。私たちはこの嗅覚を十分に備えてないと、かなり無駄な選定(狙いを定めるための仕分け)のための作業を強いられ、そこに多くの時間をかけなくてはならなくなる。実は、受験勉強でも記憶力が良ければそこそこ乗り切れるという話を前回にしたが、それ以上に優れた能力は試験問題の狙いを見抜く力である。力業で全ての試験問題パターンを覚え込むのではなく、少ない労苦でいくつかのキーパターンをつなげる方法だ。「ひらめき」などと呼ばれることもあるが、それは別に第6感でも何でもない。体得できる技術である。

 もちろん、最初からこうした能力や技術を持っている人はそれほどいないだろう。自分の経験の中で、無駄打ちをするのではなく如何に効率的に物事を進めるかという試行錯誤を繰り返し、このような能力を獲得していく。もちろん、全てに対して効率的に物事を進められるはずもなく、時間をかけ地道に対処しなければならないものも存在し、この両者を上手く使い分けられることが最も良い。水鳥が水中で忙しく足を掻いているように、スマートに見える部分とその背景にある努力のバランスが重要である。

 例えば、人間関係ならキーマンに狙いを絞り効率的に関係性を構築する部分はスマートに、だがそのキーマンとの関係性を深める部分は地道かつ念入りに、といった具合に的確な方法を必要な場所に当てはめていく。対応を間違えば結果は散々なものになるだろうが、ほとんどの人は家族や親族関係、学校や職場においてこうした能力を何らかの形で獲得している(それができない人もいるが)。

 

 こうした能力は、集中力というよりは俯瞰力と言ったほうが良い。全体を見渡して自分にとって最も効率的な方法を探す。そのためには、目前でこだわっている損得を一度捨て去って客観的に分析することがまず重要である。感情ではなく、論理により判断や分析を行っていく。だが、客観性を優先させるために感情を捨て去ったほうが良いとは思わない。先ほども書いたが感情が有利に働く部分も存在し、ケースバイケースでより効果のある方法を選択できることが重要である。人間関係とは基本的にウェットなものだと私は考えている。実のところベースは感情であって、論理や客観性の方が道具なのだと思う。だが、ベースの感情に振り回されて的確な判断ができない人が多いのは間違いない。感情はうまく飼いならさなければならない。

 私は、子供のころの学びにおいてもこうした臨機応変な選択が的確にできるようになることが重要だと考えている。単なる詰込みや、勤勉さのみを追い求めるのは、一面で結果がわかりやすいものではあるが、最終的に優れた人を生み出すためには不十分だと考える。過去にも何度か書いたと思うが、社会は優れた人だけで構成できるものではなく、指揮する人、そのもとで働く人、一人で開拓する人、多くの人の共感を呼ぶ人など本当に様々な人の集合体であるからこそうまくいく。

 ただ、それでも優れた人が少なくなりすぎると社会は停滞してしまう。欧州のエリート教育は、そのあたりの問題をにらんで培われてきたのではないかとすら思う。日本の場合には、それが一般人の自主的な活動の中から育て上げられた。

 

 これも以前触れたと思うのだが、ポイントを押さえるためにはなるべく多くの判明している事実や証拠を知っている方が良い。だが、こうした能力が求められるのは緊急時(例えば今回のコロナ禍、受験などの時間が限られた中での対処等)であり、わからないことが多い中で論理的思考と経験から引き出される想像力により導き出す。社会の中では100%の証拠が揃っていても信じたがらない人もいるが、これをどれだけ早期にかつ少ない情報の中で判断できるかが求められる。

 研究開発や芸術等創造の世界では、もともと答えがないものを探し続けることからこうした能力が養われやすい。もちろん、基礎部分には非常に多くの知識と過去から受け継がれる技術がなければならない。だが、このような中でより良いものを探索していくトレーニングはポイントを押さえる嗅覚を磨くには最適である。人によってその理解に大きな差があるのは事実であり、誰もがそれに適しているとは言えない。だが、目の前の事象ではなくその背景にある最も重要な要素を見抜く力は非常に大切である。

 私は若い人たちと、新たな提案にチャレンジする取り組みを行っている(今は難しいが)。そこでは、問題とされる社会事象を自分たちなりに解き明かし、その背景に隠れている根本的な問題を探し、解き明かし、対処を考えるというトレーニングを継続的に行う。最初は何をしているのかすらわからない若い人たちが、徐々に自分たちの意見や考え方を表明し始めるのは、その答えが間違っていたとしても嬉しいものである。

 自分自身で、長きにわたって取り組みたい問題・課題とその核心となるポイントを見出し、そこにチャレンジをしようと決心する時、おそらくその人は社会に役立つための最初の関門をくぐるのではないか。ただ、自分がそれを信じられないままに行っている人もいて、それは悲しい話でもある。