Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

頭の回転

 「頭が回る」とは、判断力や発想力に優れた人を評する言葉だと思うが、なぜ「回る」とか頭の回転が速いなどと表現するのであろうか。思考のスピードが速いことを、別に回転運動により表さなければならない理由はないと思うのだが。
 別の表現では「頭が切れる」という場合もあるが、それは「カミソリのような切れ味」などと表現されることもある(これは態度の場合もあるが)。この切れるということは、物事の断片を適切に切り取ると言うことでどちらかと言えばわかりやすいようにも思う。切ると言いながら、のこぎりのような荒い切断面ではなく、カミソリのようなスパッとした切り口を想定しているのは言うまでもない。
 綺麗に切り取る事ができる。それは、職人技のような技術(精度の高さ)を表していると言えなくもない。この言葉の用法は十分合点がいく。

 そもそも、「目が回る」など「回る」という言葉にはそもそも切れ味やスマートさは感じられるものは多くない。つむじ風や台風の場合も暴力的ではあるが、切れ味が鋭い感じは似合わない。確かにその延長としての鎌鼬には似合わなくもないが、その現象自体が非常に稀なもので私はまだ直接経験したことはない。
 「口が回る」というのは弁舌巧みなことを示し、言葉を次々と繰り出す様を回転する様に喩えている。こちらは確かに能力の高さを賞賛する意味に用いられているが、ただ残念ながら肯定的に捉えられているかと言えば必ずしもそうではないようにも思う。
 むしろ、口先だけで上手く相手を納得させてしまうとか、あるいは次々と言葉を発して先手を打ったり相手に付けいる隙を与えないなどのテクニックとしてのもののように感じている。

 とすれば、頭の回転が速いという場合の「回る」という行為がどのように肯定的に扱われるようになったのかという点に興味が湧く。とりあえず、スピードが速いことと的確性の両面で評価されているようにも思うのだが、一つには私達が頭を使う時に様々な方向を見ることが関係しているのではないかと思う。
 無意識のうちに行う仕草ではあるが、頭を使って考えている時には人によって何もない空間の方に目が向いてしまうことが多々ある。これには見る方向により考えている内容が異なるなんて話もある。
 真実の程はわからないが、思い出す時と嘘をつく内容を考えている時では視線の方向が異なっているという話もある(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1079163305)。ただし、一方で右脳と左脳の働きは言われているほどに偏ったものでは無いという記事もある(http://wired.jp/2013/08/30/brain-function/)。

 ただ、確かに気にしてみると考える時に頭の中のいろいろな部分を活性化させる時、目や身体の一部がそれに応じて動いているような気もする。脳のいろいろな部位を使用して、素早く効果的な思考を組み立てることは、あたかも脳内を思考という自分(の意識)が巡っている状況を理解できなくもない。
 別に回転しているのかどうかは不明ではあるが、頭の中を素早く巡る状況を想像してこのような表現をしているのだとすればこうした言葉が使われている様も理解できよう。もっとも、古くから脳の働き等がわかっていた訳でもないだろうに、以外に的確な表現がもちいられていることに逆に驚嘆を覚える。

 ただ、「堂々巡り」という言葉もあるように同じところを回っているだけでは進歩がないのも事実であり、同じところを回るのではなく次なるステップを探し続けるというところに頭の中のネットワークを使わなければならないのは言うまでもない。