Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

頭の良さとは

 「昔神童今凡人」とは、子供のころは周囲を驚かせるような天才ぶりを発揮しても、大人になってしまえば凡庸なさまを言い表す言葉だが、子供のころに垣間見える才能と実社会で期待される実力との違いを考えると、往々にして生じる事態であってもおかしくはない。社会人あるあるで聞かれる話としても、東大を卒業して、あるいは博士課程を出ていてもプライドが高いばかりで使い物にならない人の話もよく出てくる。だが、実際には多くの東大出身者たちが会社を率い、あるいは高い社会的立場に立っているのも事実。天才ではなくとも秀才として、社会を築き上げる重要な役割に担う人も多い。

 そもそも、考えてみれば社会に求められる能力とは、学校で学ぶ勉強により得られるものとは同じではない。テストでいくら良い成績をとっても、社会に出て無能の烙印を押される人はいくらでもいる。一方で、いろいろな事情で高等教育を受けなくとも、社会において役立ち十分な地位と報酬を得る人も(少ないかもしれないが)同様に存在する。だが、それは与えられた場所や役割において、的確にそれを担えたかを問うているものである。場所が変われば十分と活躍できる人もいるだろうし、ポストが変われば途端にダメになる人もいる。全ての役割に対して的確に演じられる人はすごいが、そんな人がどれだけいるか。良い学歴を得るということは、自分に合った仕事に就く可能性を自ら高めたと考えると、一つの答えになるような気がする。

 私は、学歴そのものはそれほど信じていない(その人脈力は認める)。最も尊敬するかっての職場の先輩は、大学を出ていなかったが判断力や物事の考え方の基盤が素晴らしかった。高度な理論や知識を持たずとも、意欲や判断力でも素晴らしい人はいくらでもいる。むしろ学歴や職歴をひけらかす人の方が信用がならない。自分自身の良さを、他をもって説明しているのだから。

 

 実は、「頭が良い」という言葉にはかなり広範囲な意味が内包されている。例えば、非常に記憶力の良い人は手っ取り早く頭が良いといわれる。極論を言えば、記憶力さえあれば受験戦争はすべてではないものの比較的容易に勝ち抜ける。だが本当の意味での頭の良さは記憶力(=過去の知識を当てはめる)だけでは不足し、むしろ創造力の方が重要だったりする。ただ、ここでいう創造力は芸術などのそれとは少々異なるように見えるが、本質的には同じものだと思っている。それは、過去の常識に囚われずこれまでになかったモノ(作品や概念)、サービス(技法、手法)などを考えだし、更にはそれを実現にまで粘り強く持っていける人だと考えている。

 新しい物事を考えつく人は結構な頻度で存在する。だが、その多くは実現されることはなく時間の中に埋没していく。本当に頭の良い人は、知識の中、思考の中だけで終わることはなく、それを実現するための忍耐力や継続力を持っている人だと思う。頭の中だけの頭の良さは、口頭でいくらでも披露できる。こんなことを知っている、こんな情報を持っている。確かにそれが役立つ場面も、一瞬の判断を求められる場所では少なくはない。

 だが、私が求める真の意味における「頭の良い人」は、(0)他者の作った情報や知識のみに留めず、(1)それを基盤に自分自身のオリジナルの能力に昇華し、(2)それを実現して結果を残す人のことである。(0)のレベルの頭の良い人は山ほどいる。だが、(1)に至るのは(0)を経由しなくともよい。自分自身の試行錯誤でそこに至る人も多い。もちろん、(1)のオリジナルの能力にも大きな幅があり、自分自身におけるちょっと有利な方法程度から、多くの人を幸せにする独創的な技術・能力に至るまで幅は広い。だが、(0)をひけらかす人よりは小さくとも(1)に至れた人の方が、頭が良いというにふさわしいのではないかと思う。残念ながら現在の受験勉強は(0)のレベルを目指すことに特化しており、(1)を見出すための方法論を説いている例が少ない。

 

 ただ、オリジナルの何かを頭の中、あるいは自分(もしくは小さな集団内)だけが受益者になるレベルから、多くの人に広げられるようになった時、真に花開くのではないかと考えている。1から一人ですべてを作ることはこの時代不可能だが、有効な知識や情報を的確に利用しながら、多くの人を幸せにする力(幸せの形にはいろいろとあるが)。それを実現すること。

 新たなものを作り上げる、発想を作り上げる時、例えば特許申請を考えてみても、世の中の人は本当にいろいろなことを「既に」考えているのだ。もちろん、その山ほどある発想のうちで世の中に出るものはほんの一握り。更に、それがヒットして多くの人たちを幸せになる可能性はもっと低い。砂浜で星の小さな欠片を見つけ出すほどに。

 だが、客観的かつ冷静に自分の発想の有効性を確信し、それが成功するまであらゆる苦難を潜り抜けて継続できること。自分(自分の抱いた確信)を信じ続けられること、そのために全てを賭けることができること。そう考えると頭の良さだけでなく、ある種狂気のようなものが宿るほどに深みにはまることができる人を「天才」と呼ぶべきなのだろう。表面的な「頭の良い人」は数多くいるが、彼らの中で社会を変える人はほとんどいない。本当に頭の良い人は、きっと社会を変えていく。