Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

遺伝と才能

 人は生まれながらに平等ではない。才能の面でも家庭環境の面でも差異が存在し、だがそれを努力で覆せると考えて努力する。しかし、統計的に見れば覆せない差異があることが記事になっていた(男性の収入は「遺伝」でこれだけ決まるという「冷酷すぎる現実」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース)。「そりゃそうだな」と腑に落ちる面もあるが、同時にそう簡単に割り切ってよいのかと思う気持ちも強い。というのも、遺伝により明らかに良い能力を得ている人(スポーツエリートや才能のある芸術家、あるいは記憶力の図抜けた人など)との比較においては、敵うわけないと考えるのは当然だが、差異の小さい者同士で比べれば遺伝以外の資質や努力により十分に逆転しうる。

 結局、多くの人たちは生活において大逆転や大いなる下剋上を目指しているのではなく、ほどほどの競争の中で勝ち上がりたい。それを強者と弱者の比較において、遺伝や親が作り出す環境の差をそのまま持ち込まれても。。。というのが私の素直な感想である。また、才能が受け継がれる可能性はそこそこ高くとも、それがきちんと花開くかどうかは別の問題である。実際、高い才能を期待されながらも成功しない人は少なくないし、努力をしないことで能力を腐らせる人も多い。特に収入面ではそうだし、また人生を収入だけで測ることについても疑問がある。

 

 加えて、こうした問題は平均値のマジックが関係していると私は考える。男性と女性を比べれば、平均値において男性の方が筋力が強い。では、男性の力を女性が覆せないかと言えば、筋肉を育てない男性と育てた女性では、明らかに後者の方が強くなる。大人と赤子の違いは覆せなくとも、男女の違いは逆転可能。それくらい、個別の力のばらつきは大きい。全体像(マクロ)の数字だけで言えば、平均すると男性は女性に力で負けることはないはずだが、個別に組み合わせ(ミクロ)れば女性が勝つケースも一定数以上あり、さらに努力によりその差を埋めることが可能なことも多い。平均値で見れば間違いなく差があることも、個別をトレースすれば結構ランダムなものだ。

 もちろん、遺伝によるスタートラインの差異は間違いなくあるだろう。また、個人の特性があるために、それ適合した分野に向かったほうが良い結果が出るのもその通りである。向き不向きについては、別に遺伝という概念を考えなくとも今までも考慮され、適合する方向を目指すようなことはある程度行われてきた。今後は遺伝情報を分析することで、今まで以上に適合性の検査が容易になるかもしれない。

 

 だが、AIが遺伝情報が読み取り職業適性を決めていく社会を想像してみてほしい。昔のSF小説や映画にありそうなものだが、そんなものには左右されたくないという反発感を抱いてしまう。私は人生においてかなり立場の異なる3つの職業を経験してきた。いずれも大成功を収めたとは言えないが、平均以上の結果は残せたのではないかと密かに自認している。そして振り返ってみると、私の経験した職業のうちでどれが最も向いていたかは考えられるが、どれが役に立ったかを考えても意味がないと思うのだ。全てが私の経験となり糧となってきた。大儲けをしたわけではないが、平均値以上の収入は得ている。それなりの社会的地位も得た。

 それを才能だと自分では全く思わない(どころか、自分に不足しているモノばかりが目に付く)が、第三者から見えればそう受け止められるかもしれないことくらいは認識できる。何が遺伝によりもたらされた点で、何が才能として身についていたのかはわからない。ただ、自分の強みと弱みは常に客観的な理解を心掛けてきたし、第三者の反応を見ながらアップデートもし続けてきた。その結果として、選択した(できた)のが今の職業だと考えている。ちなみに、先でも新たな職業にチャレンジする気は満々だ。

 

 仮に、遺伝により自分の得られるであろう平均的な収入が予測できた場合、それを覆すことに愉悦を覚えるのだろうなと、自分で思う。運命論者ではなく、だが自分の力だけで現在の地位や立場を得たとも思わない。ただ、自部の選択というものを大切にしたいと思うのみなのだ。

 失敗も自分自身を形作る重要なパーツの一つであり、自覚できないが万が一あるとすれば才能もそれの一部だろう。ただ、遺伝情報が将来的な収入を決定づける最大の要因だとは私は思わない。それに囚われてやる気をなくしたくもないし、運命のように唯々諾々と受け入れるつもりもない。

 

 少々感情的な反応をしてしまったようだ。こうした分析を否定するつもりはないし、一つの情報として価値のあるものだと思う。だが、受け止める私としてはこの結果を直接的に信じようとは思わないし、そもそも分析がまだまだ荒いと考える。

 人はもっと自由でありたいではないか。中国の監視社会が安全を担保するものであっても、受け入れたくないと考えるほどにはそう考えている。