Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

階級制度復古

下がり続ける労働分配率:労働者の痛み(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39089

 労働者分配率の低下は、グローバル化による低賃金労働者の存在が最も大きな焦点とされるが、同時にロボット化IT化など技術革新による製造やサービスの効率化も大きい。そもそも昔はこうした効率化により人々は労働から解き放たれ、鉄腕アトムで語られる世界のように自由で幸福な人生が夢想されてきたが、現実はどうやら大きく異なっているようだ。
 グローバル化による低賃金労働者の話は現状において大きな課題であるが、それは基本的に先進国側の高賃金の労働者に関係する話に限定され、逆に中国やその他の途上国の賃金はここにきて上昇のピッチを上げさえしている。一方で、技術革新によるそれは普遍的な問題であって世界中の全ての場所で効率化は進行している。かつては、新しい機械(システム)を導入するイニシャルコストを下げる意味合いで低賃金の労働者を求めることもあったが、現在では製品の信頼性を担保する意味でも人海戦術ではなくシステム化は求められている。
 では、なぜ効率化の結果として人々は豊かにならないのか。この問題の答えは非常に簡単だ。先進国では少なくとも絶対的指標としては既に豊かになっている。発展途上国とは明らかに異なるほどの手厚い保障制度もあるし、普段の生活レベルを見れば明らかに豊かである。ただ、一方で国内的な格差が大きくなるほどに相対的な差異による貧困を感じることとなる。社会における格差を指し示す指標としてはジニ係数(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8B%E4%BF%82%E6%95%B0)があるが、現在中国など極端な国家もあるのと同時に先進国においてもその拡大が懸念視されている。特にアメリカやイギリスでは格差が顕著になりつつあり、またその固定化が問題と考えられている。ただ、ジニ係数の社会が不安定化する閾値として0.4がよく用いられるが、絶対的な豊かさが向上するほどにこの閾値は上昇するのではないかとも感じている。

 こうした生活格差の固定化は、資本家と労働者という近代史における対立構造を再発させているようにも見えるが、状況は必ずしも同じではない。かつても、蒸気機関の発明など技術革新が一種の身分制度とも言える階層の違いをもたらす原因となったが、その時には労働者は必須の存在であり労働者の多さが格差を生み出した。
 その格差は社会問題となり数多くの闘争を生み出し、結果として現状の雇用システムが構築されることとなったが、その格差是正の流れが再び逆流を始めているのが現状と言えよう。中世の身分制度は、支配される側がそれを仕方がないと受け入れる限りにおいて制度が維持されてきた。現在の中国ではデモや暴動が頻発していると言われるがそれが大規模に発展しない限り強権的に体制は維持される。しかし、こうした強権的な体制維持は大きな危険性をはらんでいる。
 一方で、先進諸国で進行している格差は一見公正な競争により格差が生じたようにカモフラージュされ、それ故に制度やシステムに不満はあっても露骨(大勢を揺るがす様な)な反対論が巻き起こっていない。これは、中世の身分制度を受け入れていた状況と似ているように私には感じられる。

 支配する側からすれば最も望ましいシステムは、支配される側が自然にそれを受け入れることにある。現状の金融支配的なそれは身分の固定化という意味で法や制度を用いてそれを構築しつつある。仮に現状のルール上は正しかったとしても、より多くの国民が幸せを感じ取れなければ望ましい制度とは言えない。むしろ、一部にのみ利するシステムや制度があるとすれば、民主主義の手前それは認められるべきではない。
 しかしながら「プア充(http://www.kotomatome.net/archives/33810872.html)」などという言葉が一部で用いられるように、むしろそれを積極的に容認する動きが存在する。確かに、人の幸せはお金のみにより決まるものではないと私も思う。ただ、それも生きていく上での安定などが確保されているということが前提であって、それが維持されなくなれば生活は充実よりは苦難の道となる。
 例えば年収300万円でも一人ならそれなりに楽しく暮らせるであろうが、これが結婚して二人の子持ちとなった時に都会生活で満足できる(あるいは「充実している」)と言い切れるであろうか。言い切れると断言されればそれまでではあるが、私にはやはり難しいと感じてしまう。加えて、その年収300万円自体がさらに下がることを想像すれば、心の平穏よりは不安が先に立つであろう。

 適切な競争があって、個人の能力に応じた成功が得られる社会。その上で、それでも成功者と敗者の差が少ない(その程度は社会の判断に委ねられる)社会が最も安定的で理想的だと私は思う。加えて、この平均的な収入は少なくとも子供を育てるのに不足しない程度は欲しいところである。
 そのためには、身分というか地位というか、何より収入が固定化されない社会が求められる。現在の状況はそれが密かに固定化される方向に動いていることが危惧されるのだと私は思う。金持ちであっても、失敗すれば没落してしまう。しかし、再度頑張れば再び成功できる。
 そして、一般的な動労者であってもある程度の生活レベルが維持される。それは子を為してそれを育てるのに十分な程度は欲しい。日本における妥当なレベルがどこにあるのかはなかなか判断しづらいが、丁度良い均衡点を探し続ける努力は常に行われなければならない。

 グローバル化を理由にした雇用者の賃金低下や、こうした構図が生み出す階層の固定化は必然ではない。仮にそれが広がる様な仕組みが今の制度にあるのであればそれは改善されるべき項目だと言えるだろう。現在のシステムにより利益を得る人たちは現状を最適と言うだろうが、それは自分たちにとって最適であると言うだけであって社会全体としての最適ではない。