Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

労働生産性はどこまで重要か

 日本が後進国であることを認めるようにという、ありがたいお言葉がネット上の記事にあった(日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう | 加谷珪一 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」への反響を受け、もう一つカラクリを解き明かす | 加谷珪一 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)。日本の影響力が衰えていることに反論はないが、こうした意見を聞くときにいつも気になるのが労働生産性という指標についてである。記事ではこの指標を豊かさを示すものの代表的な一つとしているが、個人的には以前より本当にそうなのかずっと疑問を抱いてきた。

 労働生産性労働生産性とは?混同しがちな定義と計算式をわかりやすく解説)は、労働により得られた付加価値を投入労働量で除したもの、すなわち企業の得た利益を労働者数と平均同労時間で割ったものである。簡単に言えば、日本の企業は欧米の先進国と比べて十分儲けていない、あるいは労働者が無駄な時間を費やしているという意味になる。たしかに日本独特の企業文化は存在し、世界標準と比べて特殊(不合理・遅れている)という例も少なくないだろう。だが、私はそれもすべてが悪いことではないと考える。

 

 生産性が高い方が、国際的な競争には勝てる。大企業はそのために競っており、労働生産性の向上は原則として当然のことである。これは一面で正しい。だが、社会全体の仕組みは大企業における利益追求の形のみで決まるわけではない。国内的に行われる企業活動と、国際的競争にさらされるそれは同じものではない。もちろん、ゾンビ企業のように規制等により守られる企業がイノベーションを阻害することについては、私もその通りだと思う。税金に集る企業や存在をこれまでもいくつかのエントリで批判してきた。

 だが、一方で国際的な競争の行き着く先に不安を感じてもいる。既に、欧米式のドライな人事慣行は徐々にではあるが日本にも浸透しつつある。ウェットな関係は癒着を引き起こすが、ドライな関係は人間性を喪失していく。精神疾患の増加は、潜在的なそれが顕在化してきたという側面もあろうが、社会的葛藤が飛躍的に増加しているという側面もあると感じている。それは、社会システムの在り方と人間本来の在り様との乖離がボーダーラインを超え始めているからではないか。

 それでも更なる生産性を向上させるとすれば、極論を言えば人を省くことがそれに該当する。社会的には原材料費と人件費が生産上は大きなウエイトを占める。サービス業においても製造業においてもそれは変わらない。原材料費にメスを入れられない以上、人件費に切り込むしかないのである。そして、その最大の方法が生産性向上(分母である人件費を抑える)ことである。

 

 私は日本的な働き方の悪い面も意識している。それを改善していくことが悪いとは思わない。だが、それと同じ以上に人間的な生き方を重要視すべきだと思う。その意味における生産性向上を否定はしない。だが、一人の個人に着目した生産性向上は是とできても、社会全体を考えるときにそれが職にあぶれる人々を生み出すとすれば許容したくない。

 生産性の側面を見ると、分子側になる企業利益(正確には付加価値)が向上すれば数値が増える。総体としてみると、状況はGDPの推移と近似している。日本のGDPが上昇していないのは多くの人が知るところ。日本の問題はGDPを拡大させないような政策を敷いていることに主因がある。生産性の問題のみに絞るのではなく、国家自身の方向性を考えるべきだろう。その主因は投資不足、特に民間投資が低調なこの時期に政府投資が少ないことが大きい。加えて長らく続くデフレマインドが大きく影を落とす。

 

 世界を先導する企業が少ないことも問題とされるケースが多い。かつての日本がいたポジションは中国に取って代わられた。だが、今の日本はキーパーツに特化した形で新たな進化を遂げ始めている。私はその方向性に間違いはないと思う。ただ、日本に不足しているのはアニマルスピリット。新たな概念を構築する人である。その最大のポイントは、新しい概念をお金にできると考え、行動できる人が少ないことではないか。

 私たち日本人はそこそこ裕福になり、そこそこ満足できるようになった。社会を見渡せば苦しむ人も容易に見つけ出せるが、総体として満足できる社会を作り出せている。それを割ると断じるべきかがわからないのである。一部最先端研究(AI、自動運転等)で世界的競争で負けているのは事実だし、ビジネスチャンスを逃しているのもその通りかもしれない。だが、それは生産性向上により改善されるとは思わない。むしろ、過去に否定されたエコノミックアニマルのような精神を失ったことによる結果ではないかと思う。

 

 確かに欧米の一部の国家では生活満足度は日本より間違いなく高い。円安とデフレにより、日本は海外から見れば安い国になっている。だが最も需要なのは、楽しいと思えるような日々を送れる国になること。それが効率化の追求で、仕事が非人間的になっていく結果として余暇が必須になることではない。所得を伸ばすことは重要であるが、それは生産性の向上により実現するのではなく、全体的なインフレにより実現されるべきである。

 私の極論が全て正しいとは思わないし、修正するポイントも数多くあるだろうが、人間性という側面で見た時に日本は意外と良い線を行っているのではないかと思うのだ。それは欧米に蔓延するポリティカルコレクトネスを見ていてもそう思う。ヘイトや差別を許容するつもりはないが、どんなものにもバランスがあり落としどころが必要だ。そのバランス感覚は、欧米と日本では明らかに異なる。そして、欧米人にとってはそのバランスがフィットするかもしれないが、日本人にフィットするバランスも間違いなく存在する。私たちは、それを追求すべきであろう。