Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

人口減少の質

 人口減少社会の進展は、新聞から各種ニュースまで数多くの場面で取り上げられる現代日本における重大な関心事の一つである。しかし、残念ながら解決のための決定的な処方箋は未だ見出されていない。だからこそ、様々な識者からメディアまで百家争鳴の状況にあるとも言える。
 出生率を向上させる。机上で数値を変えるのは非常に容易であるはずのそれではあるが、現実にはなかなか思い通りに変化するものではない。希望としては、低迷している出産率(1.4程度)が劇的に上昇(アメリカ並みの2.1程度)する未来を目指したいところだ。それによりようやく人口減少に対する細やかな光が見えてくるのだから。

 しかし、現実には既に長く少子化時代が続いており、バブル崩壊後に企業の採用抑制が生み出した雇用バランスの崩壊と同様に、人口ピラミッドを見てもわかる通り生産年齢人口の世代的な低下は今からでは回復できない。もちろん、そもそも出産率を向上させる方策に目途など全く立ってない状態でいる。
 出生率が上がらないのであれば移民によりそれをカバーしようというのが経済界が主導する一つの考えだが、現状と同じ労働者数を維持し続けるためには常に移民を受け入れ続けて減少分を補てんするということになる。それはすなわちこれまでの日本人が減少し、新しい日本人(あるいは日本に住む外国人)が増えていくという事。残念ながら、日本というある種独特な同一性を有する社会がこうした変化に耐えうるかというと、私はなかなかに難しいと見ている。実際、世論の動きも概ね私の見立てと変わらないだろう。

 ここまで重大な関心事になっているのは、人口減少問題は総体としての国力の問題につながるからである。個人の幸福はお金のみで測れるものではないが、それでも多くの収入があることが悪い訳ではない。個人レベルのお金の事情を仮に国家の生産力として考えると、国民一人あたりの生産力(GDP)として見ることもできる。それ自体が日本は非常に低いと問題にされている。だが、国力という面から見れば一人当たりGDP×人口により導かれるGDPそのものが意味を持ってくる。
 一人当たりGDPは生産額であり、人口も数で示される。両者とも計測できる量である。普通に考えると一人当たりGDPを向上させた方が良いのは間違いないことである。だが、それは物価が上がり続ければ自然に増加していくものでもある。生活のしやすさという指標で見れば、単純に数字が増加すればそれが良いのかと疑問を抱く面もある。
 今の日本で問題とされているのは何年もGDPが増加しない状況が続いていることであり、緩やかな成長が継続していないことではあるが、それは数としての人口の減少という根本的問題と、物価の上昇が無いという二つの問題が複合されて生み出されている。

 さて、上記の他にも保育所問題をはじめ、後継者不足による廃業問題や、社会環境の変化に伴う屁かもここには関係してくるであろう。そもそも少子化とは先進国ではどこでも起こっている問題である。人々は、豊かになり自由になるほどに個人の時間を大切にするようになる。少子化の一番の原因は婚姻数の低下であり、それはすなわち自分(の時間)を大切にすることから生まれている。
 もちろん、自分(の時間)を大切にすることが豊かになって初めて発生する概念でないのは言うまでもない。だが、(ある程度)一人で生きていけるという逃げ道が婚姻を阻む小さな、しかし確実な障害となっているのは多くの人も感じているのではなだろうか。昔が良かったかと問われれば、おそらく今の少子化に悩んでいる時代の方が個人レベルでは幸せである。家に縛られ、家族に拘束され、それが当たり前であった時代からすれば、現代は何と自由な時代であろうか。
 もちろん、金銭的な理由でそれが難しいという話は私も良く知っている。子供の教育費すら出せないという問題は、相対的貧困率としてこれまたてあちこちで問題とされている。それが発生する理由を少し考えて見なければならない。

 さて、かなり話が別の方向に行ってしまったが、現在日本において人口減少問題は「量」の問題として認識されている感じが強い。だが、私はもっとも議論すべきは今後の日本を支える子供たちの質の向上ではないかと考える。子供を商品のように「質」と捉えることに抵抗を示す人もいるだろうが、労働生産性の議論でもあるように質の高い社会を生み出していくことは求められる。
 子供の質を問題にすると今度は高い教育レベルが話題になり得るが、それ以上に精神的な質が重要であろうと考えている。これまで数多くの高学力の人たちとも接してきたが、その学力を活かせるかどうかは精神的な(性格も含めて)質にかかっている。確かに、一部で頭抜けた能力を有する人は精神的な質を問われにくいこともある。だが、今後の人口が減少する日本社会では、子供の数が少なくなるからこそ子供たちが獲得すべき「質」、そして大人たちが社会に残していく「質」、その両方が重要になると思う。

 ここで優生思想などを説いているのではない。だが現代の子供たちは、果たして精神的に質の高い状態に至れるような状況にいるのだろうか。現代社会をすべて否定すればよいというものではないが、私たちが当たり前と思っている多くの事は、論理的な必然性ではなく過去とのつながりの中から惰性によりもたらされている。
 私たちが人口減少社会と真っ向から向き合うとするならば、非常に困難な出産率の劇的な回復や、文化的混乱を招きかねない大規模移民の受け入れなどよりも、これから生まれてくる子供たちが物質的にも精神的にも、高いレベルに達せられるような社会基盤やシステムを準備しておくことではないだろうか。
 少子化問題やそれに伴う人口減少問題は、確かに現時点の常識からすれば良い状態とは言えないかもしれない。だが、物事の良し悪しはその判断を下す人が決める。そして未来のそれを決めるのは私たち大人ではない。私たちが考えるべきなのは、人口減少社会を回避すべき「量」の問題よりも人口減少社会と上手く付き合って行ける「質」についてではないだろうか。