Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

夢想と理想と現実主義

 一般的に、理想と現実は対立概念として語られることが多い。現実主義者と理想主義者は全く反対の意味を持つ。だが、理想と現実は必ずしも対立しない。理想が極端になればそれは夢想と呼ばれるが、むしろ夢想と現実は完全ではないが対立的な概念であるように私も思う。理想は人が行動を起こすための動機付けであり、現実的な対応は実際の行動や進め方に区分される。すなわち理想と現実は併存可能なのだ。

 

 夢想という言葉は「お花畑」と揶揄されることも多いが、世の中にはこのような言葉で括れる典型的な夢想よりも、どちらかといえば原理主義的な夢想が数多くあふれている。夢想と理想はかなり似ているように見えるが、先ほども触れたように理想は現実との連携が可能だが、夢想にはそれができないという違いを持つ。それ以上に、夢想家はそもそも現実との関係性を持とうとすらしないことが多い。なぜなら、現実を見据えた瞬間に理想はきれいな存在ではなく、どちらかといえばギラギラ・ドロドロとしたものに近づく。それを夢として奇麗なままにしていたいという気持ちが、結果的に原理主義的な夢想を生み出す。奇麗な状態を維持するためには不可侵でなければならなず、帰着として決して妥協できない考えに行き着く。本来は夢というふわっとした存在であるはずが、いつの間にか確固たる信念に替わり得るという訳だ。両者には明確な断絶があると私などからすれば思うのだが、それを主張する人たちには見えないらしい。

 

 人間社会は、いろいろな面において汚い面が数多くある。それを全て見ないようにすることは不可能であるだけでなく、私はこうした汚さにも価値があると考えている(汚さを積極的に肯定するわけではない)。ただ、それを生理的に受け入れられない人が社会には一定数存在する。これは私の勝手な妄想だが、どちらかといえば潔癖症的な人ほどそうした考え方に左右されやすいのではないかと考えることもある(根拠はないので信じないように)。これは原理主義的な思考に陥るのが、性格的な理由に由来しているのではないかという推測である。

 

 目の前に許容しがたい現実があり、それを理想に近づけていこうという考え方は悪くない。ただ、理想に至る方策が現実的でなければ物事は動かない。現実主義という言葉が悪い意味で用いられる場合には、理想に向かう動機を失ってしまい現実に安住しているケースがあろう。あるいは、既得権益者が現状維持を目的に夢を軽く扱うというのもある。ただ、現実を許容しがたいと考える状況自体もいろいろなケースがあろうが、現代の日本では本当にそこまで切羽詰まるような状況は多数ではない。むしろ、現実的な選択肢が存在しているにも関わらず、それに気づけず、あるいはそれを選択させてもらえない状況に陥っていることが多いのだと思う。

 他方、夢想家のそれは今ある現実を一足飛びに理想に結びつけようとしてしまうことが多い。理想を掲げる姿勢が問題というよりは、そこに至る現実的な処理能力や人脈が不足しており、ままならないというケースであろう。左派識者にもそう言った感じの人は少なくない。だが、その人が不満に思う現実が他者からすれば十分に恵まれていることも少なくない(十分な地位にありながら、自分の意見に多くの人が賛同しないなどの不満を持つ)。ただ、残念ながら現実に対する否定的な主張というものは、多くの人の心を動かすのもまた事実。ネガティブな現象は多くの人の心を揺さぶり、理想への希求を強めてくれる。問題は、現実と理想の間を如何に繋ぐかにあるにもかかわらず。

 

 人は現実のみでは耐えられないが、理想のみでも挫折感を多く味わってしまう。必要なのは自分なりのバランス感覚であるのは言うまでもない。現実のみに拘泥するのではなく、理想に向かい現実的に歩みを進めていくことが最も重要だと思うのである。

 そんなことは誰もが知っているはずのこと。それなのに私たちはいつも短気である。その短気さが原理主義という極論を生み出しているのかもしれない。世の中の運動は、多くの人の興味を引くために強い主義主張を掲げることが多い。だが、それはかつて有名になったシーシェパードグリーンピースの中でも極端な活動家のように、暴力的になることが多い。現代社会においても暴力は恫喝としては有効な手段の一つだが、それでも表の社会では手を出した方が負けである。

 

 現実主義者よりも夢想家の方が暴力的になりがちなのは、ある意味において大変興味深い。ただ、マスコミは一般的に夢に対する親和性が高い。それは理想に賛同しているわけではなく、乱を呼ぶことへの共感ではあるが、その二つが結びつくこともこれまた興味深い。

 

 どちらにしても、私としては現実的な歩みにより理想に近づいていきたいと常に思っている。短気を起こさないように。