Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

津田大介氏を犠牲者にしてはならない

 あいちトリエンナーレにおいて、芸術作品の展示が物議を醸しだしている(あいちトリエンナーレ『表現の不自由展・その後』に「傷ついた」との声…展示方法は適切だったのか? | AbemaTIMES、「平和の少女像」展示中止要請へ 名古屋市長が愛知県知事に:社会:中日新聞(CHUNICHI Web))。この芸術祭の芸術監督を津田大介氏(津田大介 - Wikipedia)が担い、そこで「表現の不自由展」というものが開催されたが、その中身が問題とされている(【問題視】津田大介芸術監督の会見で配布したコメント全文公開 / 日本国民に「自制的に振る舞っていただくことを期待」 | バズプラスニュース)。

 

 個人的な感想を言わせてもらうと、芸術畑ではない彼(一応、文芸評論家という肩書はある)がなぜ芸術監督をすることになったのかが正直よく理解できない(選考委員会を経ているのは間違いないが)。その上で、彼の行った展示構成が妥当・適切であるとも思わない。だが、表現の自由を理由に開催しているのであるとすれば、個人的にはそれをあまり抑止するような露骨な動き(河村名古屋市長、「少女像」展示中止要請へ 大村知事に - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ))をすべきではないと考えている。ましてや、デマの発信に手を貸すことにはならないようにしてほしい(あいちトリエンナーレが「安倍首相をハイヒールで踏む作品を展示」というデマ情報が拡散 | ハフポスト)。あるいは暴力をもって表現の自由を脅かす様なこと(「撤去しなければガソリンの脅迫も」企画展中止に知事 - ライブドアニュース)もす絶対にべきではない。更に加えて、文化庁補助金を取り消すべき的な話(「あいちトリエンナーレ」 文化庁の補助金交付決定はまだとのこと)もあるようだが、是非ともそんなことは止めてほしい。

 この文章を書き始めた時にはまだであったが、少女像等が撤去されるという話になったようだ(慰安婦問題の少女像 きょうかぎりで芸術祭展示中止へ | NHKニュース)。撤去問題がこれだけ大きくなったことで、彼は保守層の反感を買ったが、同時に左派(自称リベラル層)の中において大きく株を上げた。こうした流れこそが、彼らの目指していr内容でもある。多くの左派系メディアが、この問題を大きく報じ始めるだろう(「あいちトリエンナーレ2019」に展示されている「平和の少女像」に関連して – 日本共産党愛知県委員会)。そして不寛容な日本社会を揶揄することになる。

 

 ちなみに、慰安婦像や天皇陛下を揶揄するような展示があるとされる(https://snjpn.net/wp-content/uploads/2019/08/ichi2-1.jpg)が、私は現物を見ていないのでそれがどのような表現であるか判断できる十分な素材は持っていない。往々にして芸術表現というものはその展示空間との関係性により感じ方が変わるケースも多く、脊髄反射的に否定すべきではないと考えている。ただ、見てきた人からはネガティブな反応が聞こえてくるようだ。

 とは言え、彼のこれまでの言動や一緒に活動してい人たちを見ていると、その表現や作家の選定に一定のバイアスがかかっているであろうことは想像に難くない(出展作家 | 表現の不自由展・その後)。言い方は悪いが、現代アートとしてのポリシーというよりは、表現の自由を利用した政治的なメッセージを発した可能性は高い。正直くだらない話だと思う。社会的な反響を得られなくなったオワコンの人たちが、何とか自分たちの言論の場を広げようともがいているに過ぎないように見えるからである。政治的な方向性の近い芸術家たちを取り上げるという目論見でもある。要するに内輪向けのサービス。残念ながら、展示撤回で見事にその目論見は成功したようだ(津田大介氏が謝罪「想定を超えた。僕の責任であります」 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル)。十分な社会的認知度を得て、さらに謝罪することで自分の立場を良い方向にもっていくことに成功した(津田大介氏「電話で文化潰す悪しき事例作ってしまった」 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル)。

 

 今回の展示が大々的に政治問題化するほどに、彼は右派勢力に圧殺された悲劇のヒーローを演じることができる。それは、彼ら自身の狙いそのものである。本当は、今回の件をトリエンナーレの失敗(芸術展示のレベルが低いという意味で)と社会に認識させれば、彼がこのような役割を担う可能性が今後大いに減じていたであろう。しかし、左派のシンボル的な立ち位置に祭り上げられ(香山リカ on Twitter: "津田さん謝るな。津田さん悪くない#あいちトリエンナーレを支持します… ")れば、今後も同じような役割を何度も担う可能性がある。社会の要職(特に大学やメディアなど)には同じような考え方の人が少なからずいるのだから。今後の政治問題化の流れや展開によっては、厄介者としてこうした芸術監督をすることはなくなるかもしれないが、繰り返しになるが体制に反発する彼の個人的な立ち位置が向上する。

 彼の嗜好が偏っているのは、今回集められた他で展示されない芸術というものが、おそらく反体制的な意味で、あるいは日本を揶揄するような意味で制作された作品が多いことが挙げられるだろう。ライダイハン像など決して展示を考えたこともないはずだ。ただ、あまりの露骨に偏ると問題視されることはすぐにわかるため、何らかのバランスを取っている可能性もある(ポリコレ的に許容されなかったものも含むなど)。どちらにしても、結局のところ私がこの展覧会を見ていないので詳しくは何とも言えないでいる。

 

 あくまで一般論でしかないが、正直言って彼の過去の言動等には賛同できない(Z旗新聞社 on Twitter: "あいちトリエンナーレで炎上中の津田大介のほれぼれする二枚舌ぶりをご覧ください。… ")し、芸術に関するセンスもほとんどないと理解している。個人として何が優れているのかよくわからないが、任期付きとはいえ大学で教えているのだから分析力や発信力には優れているのかもしれない。

 どちらにしても、繰り返しになるが露骨な彼の言動を感情でもって脊髄反射的に否定して、権力を使って圧殺することには絶対反対である。それは、現在多くの場所で行われる反ポリコレ表現への弾圧や、保守系論壇へのクレームによる圧力を容認する流れを生み出してしまうから。左派的な活動は、そこを足掛かりにしているケースが非常に多い。

 むしろ、彼の思想的な偏りが明らかになるように、今回の不自由展では展示されなかった別の不自由展を、あるいはマイノリティ展を別途開催する方が望ましい。今からでも間に合わなくはない。それは、実際の展覧会を行わなくてもよい。ネット上でのデータベース化があれば十分であろう。そうした動きにより、彼の企画したことがほとんど意味を持たなくなっていく。

 

 とにもかくにも、彼をジャンヌダルクのような直接的な犠牲者にしてはならない。彼は、今回の様に社会に波風を立てることで自分の立ち位置を確保するスタイルを取っている。だからこそ、彼自身の偏った認識や芸術センスの低さににより、このようなこと繰り返すほどに自然と社会から選ばれなくなっていくのを待てばよい。彼らのような人は、その行動に人々が関心を示さず、社会的なレスポンスもなく、無視されていくほどに存在感を失っていくのだから。

 

(20190806追記)

 どうやら津田大介氏は大きな墓穴を先に掘っていたらしい(https://video.twimg.com/ext_tw_video/1158383221857378304/pu/vid/640x360/LKq3U2yDYl8OnGGh.mp4)。最低限、自分たちが突っ込まれないような逃げ道を作っているだろうと考えていたが、完全に芸術ではなく自己の政治信条を表現していたようだ。これでは、芸術や表現の自由という逃げ道は大きく効果を失ったと考えてよいだろう。