Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

極論の心地よさ

 戦前の日本もメディアを含めて、戦争に突き進む大きな流れがあったことは多くの人が知っているだろう。当時の情報ソースと言えば、政府からの発表に加えて新聞とラジオである。当時と比べれば、今の情報入手は相当容易になっている。政府は戦前と比べれば情報開示が格段に進んでいるし、インターネットの普及は私たちの情報リテラシーを相当向上させてくれる。その結果として、新聞をはじめとしたメディアの地位はかつてとは比べものにならないほど低下した(世論調査 | 公益財団法人新聞通信調査会)。比較検討できる情報源を数多く持てる時代ではあるが、それにも関わらず比較的極論に走る傾向が多く感じるのは何故だろうかと考えてしまう。

 この問題を考える上で最も重要なことは、私たちはこの膨大な情報の氾濫を一人では処理できない状況に置かれているという現状である。その状況は一般国民だけでなくメディアも全く同じ。もちろん業として情報を扱っているため、ベースに抱えている基礎情報は一般よりも多い。だが、それでも細分化した専門的問題をメディアですら正しく理解し切れていない。取材により専門家の解説情報を入手するが、どの専門家に話を聞き、複数の情報を結びつけてニュースにするか。これがメディアの本分だが、正しい情報を伝えるためには大きな背景を知っていなければならない。特定分野では論説委員や解説委員等が深い知見を持っていることもあるが、組織の平均値で考えれば私たちが期待するレベルに到底及ばなくなった。インターネットの普及は負の側面も併せ持つが、盲目的に信じてきたメディアの適当さを露呈させた。

 だが、多くの場合複数のメディアを読み比べたり、一次情報にアクセスして逐一検証をしようとまでする人は少ない。趣味ですならい情報収集にそこまで時間を投入できないためである。むしろそれを行うことは苦痛となることの方が多い。結果、自分がシンパシーを感じる情報にのめり込むことになりやすい。ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー(ファスト&スロー (上) - 無料試し読み・電子書籍 | BookLive!)」にもあるように、私たちは直感的に判断することを普段行っており、物事をじっくりと考えることはストレスに繋がるため、必要が無ければ避ける行動を行いやすい。もちろん、仕事等の自分の利得に関わる行為では直感に流されないよう努力するが、そうでない分野では情熱が無ければ継続できない。一定の意見に流される状況は、相手からの強引な勧めにより信じた場合には翻しやすいが、自らが選択した場合により考え方を変えるのが困難になる。そして、時間が経過するほどに自らの費やした時間や自らの言動が制限となり困難さが増していく。

 固定化した考え方から脱出することの葛藤自体が、既にストレスとなるのだから容易なことではない。更に、自分の抱えるストレスが高まるほどに判断を人に預ける方が楽になってしまうのである。宗教的な洗脳はその最たるものだと思うが、抱えているストレスが高いほどに人は盲目的な行動に邁進易いと言えるだろう。自己判断によりもたらされる過度な心理的なストレスから逃げられるなら、極論という複雑ではない論理に埋没する方が楽になるのだ。心理的な逃避行為が引き起こすそれは、仮にその論理に筋が通っていなくとも無視されがちである。

 逆に言えば極論が頻出する社会というのは、社会総体としてのストレスが高まっている状況であると思う。統計的に社会ストレスメーター的なものを考え出すこともできるかもしれない。ただ難しいのは、社会構成員である個人個人が抱えるストレスは容易に解消できるものではないこととであろう。ストレスの増大は人により異なる結果を生み出し、鬱に沈む人もいれば暴力的な活動に埋没する人も、そして双方を抱える人も少なくないだろう。

 日本社会におけるストレスは、未来に夢が抱きにくいことが大きな背景として存在している。バブル崩壊後の長期低迷は、社会全体の心理に大きく蓋をかぶせることとなった。細部で言えば現状の日本でも成功の道筋は数多くあり、真っ暗闇の状況ではない。ただ、それを見出せない個人レベルでのルサンチマンや、不遇等様々な側面があるのは理解できる。逆に言えば、一度の失敗で全てが終わらない(再出発の)可能性があれば社会全体のストレスが多少は改善されよう。そのためには日本の既得権益を少しずつ剥がしていくことが必要となるが、国内的な競争ではなく対外的な理由を持って抵抗し続けている側面がある。日本に求められるのは、外資導入よりも国内的な競争を今以上に活性化することだと思う。

 韓国や中国の状況はおそらく日本よりもずっと厳しい。ただ、日本を乗り越えるとか、世界に名だたる国になるという夢がかろうじて社会的ストレスをカバーし、それ以上に治安維持や社会の雰囲気が抑制的に働いている。他国の事なので私がそれ以上意見をするつもりはないが、こういった歪な状況は突然弾ける可能性がある。世界的にも、徐々に極論が幅を利かせるようになっているのは多くの人が感じているだろう。これは資本主義の限界を示している事象だと個人的には考えているが、現時点ではその先はまだ見えていない。だが、そんな中でも極論に陥ることなく社会を見て行きたいと思う。