Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

高額報酬

 カルロスゴーン氏を巡る問題について、日本と欧米の報道の仕方には大きな開きがある(米紙社説「不思議の国のゴーン」=「ますます奇妙」と論評:時事ドットコム)。特別背任に関する報道が徐々に出始めているので、仮にそれが事実だと認定されれば罪に問われることになると思うが、このあたりについては今後の情報を注視したいと思う。

 ところで、日本は最も成功した社会主義と揶揄されることもあるように、成功者とそれ以外の報酬差が比較的小さい国とされる。実際、報道で目にするように欧米や中国等一部の経営者は、仮にオーナーでなくとも信じられないほどの額を受け取り、あるいは金融界でも特別なプレイヤーは個人であっても巨額の報酬を得る。ペイ・レシオ(ペイ・レシオとは|金融経済用語集)という概念があり、日本は欧米と比べても差違が小さなフラットな社会と見なされることが多い。ペイ・レシオは欧米の大企業では3桁の値を取ることも一般的(最大5000倍!社長と従業員の「報酬格差 」が止まらないカラクリ(小出 フィッシャー 美奈) | マネー現代 | 講談社(1/3))だが、日本では一部のオーナ企業等を除きほぼ見られない(ストックオプション等は除く)。従業員の給与が高ければその値が下がるとか、世界展開していると従業員給与の平均値が低くなるため値が大きくなる等、この値は万能ではないことは指摘されているとおりであるが、大雑把に経営陣と従業員の報酬差を概観する上では使いやすい指標である。

 欧米の有力な経営専門家の報酬を見るにつけ、有能な人材は巨額の報酬をもって招くというスタイルの欧米と競争になれば、企業としてはの在り様は日本にとって不利になっているのはよくわかる。経営の舵取りは一般業務と明らかに異なり、そのためのスペシャリストが必要である。それについては、日本的経営方式の行き詰まりから人々も徐々に理解しつつあろう。世界中での経営者の奪い合いを回避するためには、国内的に専門家を育成する方法論は大きな課題となる。企業において労働力の質向上には大きく力を割いてきたが、経営陣を育てることにどれだけの力が割かれてきたかは疑問が残る部分もある。それを外部に求めるのが世界的な方法論ではあるが、ソフトバンクソフトバンクの深刻な問題…孫正義会長の後継者不在、16兆円超の有利子負債 | ビジネスジャーナル)やファーストリテイリングユニクロの後継者問題「息子に継がせるのでは」市場で飛び交う憶測 - ライブドアニュース)における後継者問題だけでなく、大塚家具(大塚家具のビジネスモデル大崩壊で、銀行が備え始めた「Xデー」 (高橋 篤史) | マネー現代 | 講談社(1/3))の例などを見るとその難しさも分かるような気がしてくる。

 一般に企業にも成長サイクルが存在し、時期に応じて求められる経営者としての資質は異なる。発展期には熱い夢を掲げ導くような強引な経営者が望まれ、安定期には調整タイプの経営者(あるいは合議制)が好まれやすい。重大な経営問題が生じた時には、夢はさておきドライで果断な経営者が必要となるだろう。日産の事例が典型的だと思うが、ウエットな経営者はドラスティックな改革を躊躇しがちで傷口を広げる傾向が高く、ドライな経営者は投資家からは好まれても、被雇用者や関連企業からは怨嗟の声を投げかけられる。一人の経営者がこうした経営者の多用な顔を全て演じられるかは、本人のキャラクターに左右されるがなかなかに難しい。だが、少なくとも日本企業は従来家庭的な経営を掲げていた流れをくみ、徐々に消えつつあるものの終身雇用はその典型のシステムであもあった。

 その上で、日本企業では大手であっても創業者は株式その他の利益を得るが、それ以外の雇われ経営者は飛び抜けた報酬を取ることは少なかった(もちろん一般従業員よりは報酬が高いが)。それには企業の一体感を演出する面もあるだろうし、生え抜きを中心とした経営体制であったことも大きな要因としてあるだろう。社会変化が極端でない時代、あるいは一貫した成長期(例えば高度成長期など)は、ある意味シビアでドライな経営判断よりも、会社一体あるいはグループも含めたサスティナブルな成長を求めることが可能であった。上記の様な体制や意識は、過去の日本を取り巻く状況が生んだ結果とも言える。

 しかし、グローバルな競争が当たり前になった現代、こうしたウエットな経営方針では企業体そのものの存続が脅かされかねない状況が生じつつある。松下幸之助時代の様な家族的で皆が満足できる企業であることは、ある意味理想形である。そうありたいと願うのは誰にとってもおかしな話ではない。頑張った人がそれに応じて報酬を得るという考えも、それのみを考えれば正しい。だが、その適正な落としどころがどのあたりにあるかは十分議論されていないように思う。報酬格差が広がっている最大の理由は、世の中にお金が満ち溢れていることにあると私は考えている。リーマンショック以降、世界中の中央銀行量的緩和とばかりにお金を市中にばらまいた。本来であれば、これによりインフレが発生してもおかしくないのだが、生産性が過剰な状況ではそれが思ったほど進行しない。その典型が日本であり、いくらお金を刷ってもデフレから脱却出来ないという不可思議な状況に陥っている。

 一般国民はその状況を体感することはないが、世界中お金が集まるところでは大きなインフレが発生している。例えばスポーツ界、特にサッカーやMLB等の有名どころの移籍金や年棒はわずか10年前と比べて信じられないレベルまで上昇している(尋常ではないサッカー界の移籍金高騰…コウチーニョとファン・ダイクは歴代何位? | サッカーダイジェストWeb)。多くの資本家が参入していることや、放映権料の高騰が理由とされているが、最大の理由はお金が余っていることである。少なくともそれだけの費用を出す人(オーナー)が、複数いることが生み出している現象だ。企業トップの高額報酬も私は同じことが遠因として作用していると考えている。世界中にお金が溢れているからこそ、それを集められる人たちの金銭感覚が異常なものになり、それがどんどんと広がっている行く状況。もちろん以前より欧米の一部の企業トップ(特にオーナー企業)が高い報酬を取ってきていたのは間違いない。だが、雇われのトップ報酬まで大きく上昇しているのはこうした理由が根底にあるからではないかと思うのである。

 その上で私が危惧するのは、こうした現象はわずか数十年の間に生じた問題であること。要するにそれが普通だと認識してしまうかもしれないが、現状が異常な状況であると気づけるのかということである。私は、世界を巡る経済状況が変化すれば常識は一夜にして変化し得ると思っている。そして、アメリカでも社会主義的な政策を掲げる議員の支持率が高まっていることを見るにつけ、こうした歪みは社会を蝕み続けているのではないかと考えてしまう。貴族制の残滓が残る欧州では多少受け入れられる素地があるかもしれないが、日本で欧米の後を追うことが本当に良い事なのか。

 社会分断を引き起こしかねない高額報酬問題はそもそも法律で規制できるものではなく、ある意味では悪習とも言える社会の雰囲気が決定するとすれば、日本人の良心が上手く落としどころを見付けてもらいたいと願ってやまない。