Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

研究アニマルスピリッツ

 日本の研究力低下が、様々なところで話題となっている。

diamond.jp

 現実に、世界大学ランキングや論文数の結果が芳しくないのは言うまでもないし、AI等の分野ではアメリカや中国に大きく後れを取っているとも言われる。文部科学省からの運営費交付金が毎年1%ずつ減少しているのは事実だが、同時に教員定年を65歳付近に延長したことが現在の大学経営に大きく影響を与えている。結果として、全国の多くの国公立大学不本意ながらも経費削減(および外部資金獲得)に邁進させられている。運営経費に給与が占める割合はかなり高いが、よほどのことが無い限り任期無し教員の首を切れず、結果的に採用を控えることが基本的路線となる。その結果、若手教員の採用が控えられたり、余裕がないがために慎重になって期限付き雇用しか行えないケースが増加していた。確かに、ポスドク等若手研究者が不安定な身分に置かれていることも多いが、それについても随分前から問題とされている。

 では、現時点で大学への就職が有り得ないくらい困難かと言えば、必ずしもそうとは思わない。特に大学教員の年齢構成が腰高の壺になっている(60代が多い)こともあり、今後は人件費削減のため若手教員しか採用できないところも多くなる。分野や大学の立地により差はあるだろうが、私が知る地方国立大学法人のとある分野では任期無し教員の競争率が概ね10倍強程度である。これを厳しいとするか緩いと見るかは人により違うが、私が思うにそれほど厳しい状況にはない。一定の研究成果を上げている人であれば、むしろ大学の方からぜひ来てほしいと言うイメージすらある(首都圏や大都市圏では違うだろうが)。大学が望むレベルに達しているかどうかが関門だ。その上で、これも私の大雑把な感覚だが概ね2/3程度の応募者は書類審査で希望するレベルに達していない。

 大学がどのような人材を望むのかを見極めるのは容易でないが、基本的には研究成果を継続的にあげられるような人材であるかが最初にあり、続いて募集区分に対する分野の適合性、職階と年齢の適合性、そして教育並びに地域貢献や他者とのコミュニケーションが取れそうかを問われることが多い。他にも多くの評価ポイントはあるが、研究成果が最大であるのは言うまでもない。実際、現在の大学教員は本当に雑多な事を期待される。特に地方国立大学法人の場合は、研究のみが突出して他が駄目という人物よりも、総合的に広い能力を期待する傾向が高いように感じている。それは少ない人員で幅広い分野をカバーし運営するためにやむを得ない面もあり、現実にオールラウンダーを高く評価する人事システムが広がりつつある。

 さて教員採用の話を先に書いたが、ここで話題にしたいのは既存教員のチャレンジ精神についてである。私が知る国立大学法人だけではないだろうが、どんな組織においても能力が高く次々と成果を上げる教員と、最低限の義務を果たすだけに見える教員グループが存在する。そして主観がかなり入っているが、研究成果を上げる教員と学生の教育満足度が高い教員が一致することは多い。そこに掛ける意気込みと努力、そして手間の差なのではないかと思う。同じくテニュアを持っていても教員の質は千差万別である。大学教員であれば知識が深く幅広いのは当然だが、その先をどれだけ追い求めるのかと言う心構えの差があると感じる。研究分野そのものは大海原のように広く、ニッチを探せば課題はどこにでもいくらでも転がっている。だから、あえて大きな目標を立て困難な挑戦をするかどうかは教員次第と言う訳だ。

 もちろん、大学に所属しているのだからいずれの教員も何らかの研究には取り組んでいる。異分野から見れば趣味にしか見えないものもあれば、壮大なテーマを掲げつつもずっと結果を出せない(出さない?)ケースもある。私が思うに、研究のきっかけや取り組む内容は何であっても良い。そこから得られたものをどのように広げ、より深い探求の道に進めていくのかの志が問われる。諦めたとまでは言えなくとも、チャレンジよりも安全策を取る教員は少なくない。それは立場が安定しているが故の保身かもしれないし、踏み出す勇気を持たないだけなのかもしれない。

 今、日本の大学に問われているのはアニマルスピリッツを有した教員を増やすことではないかと思う。成果主義オンリーで大学を計る意見には与したくない。研究は、偶然から展開されていくことが多々ある。とりあえず試す。もちろん闇雲に向かえばいい訳ではないが、全てを事前に想定できることは少ない。粘り強く取り組むことが何より望ましい。

 こうした研究に対するアニマルスピリッツは、研究成果以外の分野においても良い影響を与えるように感じている。まずは内にこもらず外に打って出る。失敗しても負けずに継続できる強さを獲得できる。そして、自分の行っている研究の意味と意義を多くの人に伝え続けなければならない試練を得て、プレゼン能力が向上する。そして何よりもそのチャレンジや姿勢を見ている学生に良い教育効果を与える。大学における教育は基礎知識を与えることだけでなく、何より物事に取り組み姿勢や方法論、考え方を獲得することにある。

 だが残念ながら、今の大学ではそのようなアニマルスピリッツは積極的に評価されないし、そもそも内面的なそれを容易に評価できるはずもない。特に短期的にはそれを全く判断できないことが最大の問題である。長期的に見ればアニマルスピリッツは人物と行動から雰囲気として判断し得る。だが、慌てて判断しようとすれば誇大妄想狂や詐欺師が高評価を受けるかねないのは怖ろしくもある。そもそも公平であろうとする大学の人事制度があり、努力しても成果に応じた評価を必ずしも反映されない現状は、守りに入る教員を生み出す素地となる。安定を否定するつもりはないが、あまりに保守的になり過ぎる状況があるとすれば、その精神を喚起することは重要であろう。

 こうした問題は大学に限らず、日本社会全体に広がっていると思う。チャレンジに対する評価が低ければ、モチベーションを何により維持すればよいのか。チャレンジしないことにペナルティを与える方向性も考えられる。だが、できれば前向きな雰囲気を醸成していくことを考えたい。要するに、停滞しがちな教員のマインドを変え、モチベーションを維持していく手当しかない。それを自分で律することができなければ、組織的に対応する必要が生じる。

 大学教員とは本当に恵まれた仕事であり、安定した報酬、研究の自由さ、その上に立場が地域における識者のポジションを与えてくれる。呼ばれた委員会などではあたかも専門家のように扱われるが、実はそれ以上に知識の深い民間人も少なからず存在したりする。だが、自治体などは自分たちの論理で大学教員を厚遇する。探す手間が必要なく、質が低すぎることがない。ベストではなくベター、そして社会的に説明が付きやすいと言う理由。もちろん本当の意味で必要とされる教員も少なくはないが、お飾りのケースも多数あるのはなんとなく知られているだろう。それが下手な自尊心を生み、あるいはチャレンジしない言い訳になっているとすれば、あまり褒められた話ではない。

 ところで、例えば大学教授とはどの程度希少なのであろうか。平成30年度学校基本調査(学校基本調査 平成30年度(速報) 高等教育機関 学校調査 大学・大学院 | ファイルから探す | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口)によれば、2018年時点の学長・副学長・教授を合わせて71,918人とされる。この数を多いと感じるか少ないと思うか。私がこの数字を初めて見た時の感想は、予想以上に多いなと感じたものである。

 次に比較のため非常に乱暴な略算をしてみよう。大企業のうちで平均年収が700万を超える企業は約800社ある(【2018年12月版】平均年収が高い企業ランキング!全国 全業界 日本のサラリーマン P8)。これは大学数768とほぼ同じであり、また大企業に分類される総企業数約1.2万社から考えると6.7%にあたる。また大企業従業員数は中小企業庁の統計により約1,229万人(http://www.chusho.meti.go.jp/koukai/chousa/chushoKigyouZentai9wari.pdf)とされ、両者から平均年収700万以上の従業員数はおおよそ82万人になる(多くの異論もあろうが、丸めて100万人を仮に一流企業の従業員数と仮定する)。次に大企業の代表としてトヨタにおける職位別人数を計算してみる。従業員総数が約7万人(単体ベース)、基幹職3級(課長級)が約7300人、同2級(次長級)は約1700人、同1級(部長級)は約480人とされていた(社員30万人の最強企業トヨタで「偉くなる人」の共通点(井上 久男) | 現代ビジネス | 講談社(1/6))。課長以上の立場を得られるのが13.5%(役員除く)で、先ほど仮定した一流企業従業員数にこの割合を掛けると課長級以上が13.5万人となる。教授上の数である約7.2万と比較すると、どうやら一流企業の課長と次長の間くらいが大雑把な数字による大学教授の社会的な価値に見える。もちろんこんな数字遊びが何も明示しないのは承知の上だが、それでも体感的にも年収からも、この比較はそれなりに妥当なレベルを示しているように感じている。

 ただ、ここで問いたいのは数字の正確性ではない。大学教授は基本的に大学の研究職員の最上位に位置する。学長や副学長は基本的に研究から離れ経営に携わるため、大学では教授が職階上の到達点である。その上が無い故に、能力や成果を見ても相当に幅広く玉石混交の教授が存在し得る。そして平均的な価値は一流企業の課長+α。さて、そのレベルで社会的にどれだけ価値を自負できるのか。

 なぜこのような数を出すのか。それは教授の中に職階上の到達点であるが故に、上がほとんど無いがために、挑戦心を忘れ去ったような人がいることにある。本当は、昇進のプレッシャーから解き放たれた教授の方が自由に研究や教育に邁進できるはずなのにである。世間から見れば大学教授の方が一流企業の課長よりも随分偉いように見えるだろう。しかし、私は両者にはそれほど大きな差はなく、担う業務が違うだけに感じられる。自治体で考えても、概ね本部の課長あるいは部長レベルが相当するだろう。世間のイメージほど大学教授は希少なで貴重な職ではない。

 大学改革には難しい点が多くあるのは否定しない。また、全ての研究者がアニマルスピリッツを持たなければならないと断言するつもりもない。ただ、論文数等により評価するよりはこうした精神を評価できないかと思う。また、最上位職であることが問題を誘発しているそすれば、教授にも平教授、上級教授(あるいは一級教授、二級教授)くらいの差別化を設けても良いのではないだろうか。ただしここで書いてきたことは、信念と勇気をもって研究に邁進している多くの研究者には全く必要のない、むしろ余計なことであったりもするのも理解している。

 留学生を増やすことや、海外発表を増加させること、IFの高い論文誌に投稿すること、その他にも数多くの研究振興のための意見が出ている。研究資金が十分ではないという面もある。だが、何よりも研究者のアニマルスピリッツを喚起させることを目指してほしい。