Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

デフレのあだ花

 渡辺美樹氏の参議院選立候補もあってかブラック企業論が花盛りである。もっとも、ブラック企業と言われるような存在は何もごく最近生まれた訳ではなく昔からある。実際、高度成長時代には揶揄も含めてではあろうがマスコミも「モーレツ社員」などと取り上げてきた。
 ただ、当時は企業として待遇が必ず良くなかったとしても、そこで頑張ることで企業が成長すれば社員の待遇も向上していくという希望が存在していた。すなわち、社会全体が成長という出口を夢見ることができた面がある。

 ところが、現在議論されているブラック企業においては将来の夢というものを抱きにくいという点で異なる。一部の幹部社員になれれば給与の大幅アップも望めなくはないだろうが、逆に言えば普通の社員は待遇アップは企業成長と比して十分には望めず、しかも必要がなくなればいつ切り捨てられるかわからない不安の中にいる。切り捨てられることの裏返しになるのかどうかはわからないが、こうした企業では社員側が同様に見切りを付けて早期に辞めていくケースも多い。これは早期離職率が高いということで現れている。もちろん、業種全体が同じような傾向を持つので一企業のみをもってブラックを語っても仕方ないのだが、多くの場合にはリーディング企業(あるいはネット世論に取り上げられた企業)が矢面に晒される。
 切り捨て論議年功序列制と搦めて捉えればいいのだろうが、言い換えれば社員と企業の一体感が無くなっているといっても良い。企業の成功が社員の成功に必ずしも反映されないと言うことであり、企業は社員を駒として扱い、社員は企業を道具としてみなす。外資系企業は日本企業と比べてこのあたりが非常に明確で、社員には一定のスキルと成果を求めその対価として報酬を与える。それをドライに割り切れればブラック論議など出てこないのだろうが、現実には企業は年功序列時代のような忠誠心を社員に期待し、社員は相応の温情や一体感を企業に無意識のうちに求めている。
 もちろん、リストラはあらゆる場所で行われているものであり、存在そのものはブラックであるかどうかには限られない。ブラック企業と言うレッテルは、一種日本全体の疲弊を象徴しているのかもしれない。

 ブラック企業と言われるものにもいくつかの種類があり、一つは怪しげな(と言うと語弊があるだろうが)成果主義中心の中小企業があるだろう。高度成長の黎明期に見られがちで、現在でも新興国やニッチな分野における新興企業ではこうした傾向のある企業は少なくない。拡大期の企業にありがちなスタイルではないだろうか。こうした発展期にはトップのカリスマ性により企業が引っ張られていくことが多いが、当然その苛烈さにより脱落する人がいて社会常識とのギャップの大きさに応じてブラック性が評価される。
 もう一つは、ある程度大きくなった企業であっても新たなチャレンジのために(それは新業種であり、あるいは世界への進出であり)、成功により得られた利益を社員還元せずに新たな投資に向け続けている場合がある。高速道路料金におけるプール制のようなものであるが、企業の成長が社員の地位向上(当然給与アップ)に十分反映されていないと考えられるケースである。
 企業トップにはトップなりの言い分があるだろうが、ブラック性が言われるのは比較的安売りにより業績を伸ばしてきた企業に多いように思える。安売りとは言え、その販売スタイルには様々なオリジナルのノウハウが用いられているのだろうが、人気の根源がそこにある限りにおいて、こうした企業は人件費を削って成長していくスタイルを貫かざるを得ない。これは、何もブラックと言われる企業に限られたことではなく、グローバル戦略を取る企業においては情況的には何も変わらない。

 ただ、国内における安売りスタイルの広がりは、デフレという経済環境の申し子と言っても良いと思う。こうした環境は、世界的なデフレ傾向(供給過剰)は戦争などによる供給設備の破壊などがなければ今後も続くだろうから、アベノミクスが仮に成功したとしても構図が容易に変わるとは言えないだろう。
 それでも、日本の景気状況が一定の進展を見せれば(デフレ脱却ができれば)傾向には若干の変化が見えてくるかもしれない。それは、景気回復により失業率が改善することで社員に対する福利(給与を含めて)が充実されていくと、ブラックと呼ばれる企業は人集めに苦労することになるからだ。もちろん、その時には移民を含めた安い労働力を日本に呼び込むようなロビーが力を強めるだろう。

 ブラックのブラックたる所以は、終身雇用時代の忠誠心を期待しながらそれに相応しい待遇を与えないことにある。こうした企業が存在できる理由は失業率の高止まりと、日本全体的な給与の低下が招いていることだとすれば、ブラック企業とはデフレのあだ花と称してもいいのかもしれない。