Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

熱狂的な少数を得た者が勝つ

 万人に愛される商品や作品がベストセラーになることは容易に理解できる。小説や漫画から音楽、スイーツや電化製品、車まで様々なジャンルのそれがあるだろう。しかし、ベストセラーとは言っても国民の全てがそれを購入するわけでは無い。100万枚売れれば大ヒットのCDであったり100万部売れればベストセラーの小説であったり、多くとも100人に一人の購入者しかいないことになる。数で言えば大きいが割合で言えば1%に過ぎない(もちろんその1%を獲得するのが何より難しい)。
 長年愛される定番商品ともなればリピーターが繰り返し購入するために、これを超える売り上げを達成するであろうが、こちらについてもユニークユーザー数を考えれば幅広いわけではない。買ってくれる人は買い、買わない人は買わないという当たり前の違いが明確に存在する。

 ウインドウショッピングをしていて衝動的な買い物をしてしまうことはあるかもしれないが、同じものを繰り返し買う可能性はどれくらいであろうか。私の個人的な感覚で言えば、よほど気に入らない限り次の購入には結びつかない。購入という流れにはかなり高いハードルが存在する。少し気に入ったくらいで買いまくるという選択は、よほどの道楽者の金持ちかあるいは浪費症候群でもなければ取り得ないのである。
 一度は買うかもしれない。あるいは安ければ何度か繰り返して買うかもしれない。しかし、価値を気に入って買う場合にはコストに対する抵抗が若干下がってくる。それは販売者利益に直結する。

 商品や創作物ではないが、社会では極端すぎるような言動やエキセントリックな活動をする人は少なからず存在する。別にその人が本来偏った思想や行動を取っていなかったとしても、目立つことにより注意を惹き、似た思考の少数の熱狂的な支持を取り付ければ一定の存在価値を得る。
 少数でもコアなファンを持つことで一定の潜在的な顧客をつかむことができ、テレビ出演や著作・講演などにより糧を稼ぐことが可能となる。それ以上の批判者を得ても、得る成果の方が大きいのである。
 政党も、宗教も、その他の多くの存在もこうして成立している。広く浅くよりも、深く狭く(こちらは広げようとする)ということになる。スタート時にコアなファンを如何につけるかが重要なファクターということだ。

 無論、商売であればコアなファンが少なすぎれば成立しない。潜在的なファンの数ではなく、商品やその他を購入してくれる応援者レベルのファンがどれだけいるかが最も需要であり、それを典型的な形にしたのがAKBなどのアイドルグループとなる。あの商売は、あたかも麻薬的にのめり込ませるための仕掛けをいくつも行っている。批判も多いが、単純に商売の手法としてのみ考えれば効率的で洗練されている。
 コアなファンを獲得するためには、本来商品のレベルが高いことが求められるように感じるが、AKBなどで言えば必ずしもその条件を満足しているわけでは無いことは誰もが知っているであろう。熱狂させるための仕掛けが求められるというわけだ。
 一時社会問題となり今ではかなり規制が設けられたが、携帯ゲームにおける「ガチャ」も人々をのめり込ませる魔力を有していた。アイドルやゲームという常に変わり続ける(先がある)コンテンツの場合には、こうした方法が容易に取りやすいという面があるのであろう。熱が突如覚めることもあるが、通常のめり込んでいる時には人間は冷静な判断ができなくなっている。

 それに対して商品販売の場合は必ずしもそうではないが、こちらの場合には長く続くという別のメリットもある。定番商品と呼ばれるものは、それを使用する人の生活の一部として存在しうる。認めさせる商品価値がかなり高くなければ成立しないという意味でAKBとは異なるかもしれないが、逆に一度地位を得れば類似でより良い商品が現れたり商品の質が落ちでもしない限り立場は変わらなくなる。
 ただ、こちらのケースでは熱狂という言葉は必ずしも当てはまらない。静かに強く支持していると考えてよいであろう。流行は一時的な熱を盛り上げるという意味でアイドルなどのケースと似ているが、定番は個人的な常識の一部として機能しているという面が大きく違う。

 両者は、一時的な理性の麻痺と個人的常識への組み込みという面で大きく異なるが、それを手放したくないという感情が働くという面では同じであろう。前者は感情を煽る手法なのでわかりやすいが、後者は自分の日常を崩されたくないという反射的防衛反応であるものの、どちらも感情が先に出るであろうという面で似ている。
 こういう分類が正しいかは自分自身若干疑問ではあるが、激しい熱狂と静かな熱狂、いずれもそこに強く思い入れを持っているという面が大きなポイントである。人は、いろいろな面で自分自身の持っている弱さや穴を塞ぎたいと考えている。それは一時的な麻痺であっても良いし、穴にぴったりとフィットするピースであっても良い。あるいは自分らしさを表現するための何かであっても良い。
 ただ、その感覚は一人一人かなり異なり幅が広い。だからこそ、他の大多数が見れば疑問に感じるようなファッションや思想も常に生き続ける。

 大企業であれば、生産性のために万人向けのそれを求められることはよくわかるが、ニッチな生産者であればあるほど熱狂的な小数を足掛かりにファンを広げていくことが重要となるであろう。もちろん、その初期には実現できないことやファンを広げられないことに苦しみ、認知度を上げるために駆けずり回らなくてはならないかっもしれない。
 また特殊性を売り物にするのは良いとしても、そのレベルが一線を越えると急激に支持者が減り、逆に甘くなっても同じことが起こる。ギリギリのボーダーラインを上手く見つけることが何よりも重要となる。
 ただ、1%の支持が100万の顧客につながると考えたならば、最終的にはやはり熱狂的な支持者を得たものが強いと言っても良いだろう。