Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

辺野古と那覇空港

 辺野古沖合の埋め立て問題がヒートアップしている。翁長知事の官邸に対する態度はかなり喧嘩腰である(http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=110902)。沖縄側の主な反対理由は沖縄から米軍に出て行ってほしいと言うことではあるが、議論の最初は普天間が危険な空港であるという話からスタートしている。
 元々、基地により生計を立てている人も少なくなく、隠れた普天間基地存続派も少なくないとは聞く。それでも、自分の生活と住民の危険のどちらが重要かという正論があるため、彼らが大きな声を上げることはほとんどない。その上で、辺野古沖埋め立てについては普天間廃止派も存続派も同様に反対の意見が強い。それは沖縄の自然を守るという反対しようのないポリシーで貫かれているからである。
 なお、日米ガイドライン改訂に関する会合が先ごろ開かれ新しい環境にあった日米の防衛協定が議論されている(http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPKBN0NI1RA20150427?sp=true)。この内容には含まれていないが、米軍は徐々に沖縄から出て行こうとしているのは間違いない。沖縄県民が望むほどに速いペースでないことは間違いないが。

 さて、私も開発により自然が残される方がよいか、破壊される方がよいかという感覚的な問いを受ければ、残される方がよいと言うに決まっている。しかし、人間の存在そのものが自然を栄養としてそれを改変することで成立しているのだから、人間にとっては自然そのものではなく人間にとって都合の良い自然が欲しいにすぎない。博愛主義で自然保護を訴えることは、人の存在の大部分を否定することにかなり近い。
 時に過激な環境保護運動は、人の存在や生活そのものを極端に排除する行動に出る。グリーンピースシーシェパードの行動に眉をひそめる日本人は多いと思うが、原理主義は大きな行動力と一部への訴求力を持つため無くなることはない。

 しかし、環境保護という観点が第一に立つとすれば奇妙な現象がある。実は、沖縄において那覇空港の拡張工事が進められているのである。沖縄のメディアに少し取り上げられたことはあるが、ほとんどの人は知らないことではないだろうか。
那覇空港プロジェクト現場日記(http://www.dc.ogb.go.jp/kyoku/information/nahakuukou/pdf.genbanikki/genbanikki_05.pdf
 その埋め立ての規模は辺野古に勝るとも劣らない規模のものである。こちらは利便性向上に意味があるというのはわからなくもないが、自然保護を何よりも重要なテーマにおいているのであれば、この開発計画にも当然大きな反対運動があって然りである。
 それがないということが、辺野古埋め立ての反対理由が米軍を追い出すことに主眼があるという証拠でもあろう。私も自分の住む場所の近くに迷惑施設がない方が良いという気持ちは持つから、反対論に一定の理解を示している。

 普天間辺野古も基地を設けないということが理想なのは間違いないが、それが現実的なステップではないために苦渋の選択として現状がある。現状はある時点における妥協の結果だが、それをちゃぶ台返しすることは普天間の現状が当面続けられるということにつながる。
 防衛問題は、本格的に利用する時には戦争が迫っているという危機的な状況の存在であり、通常は迷惑施設としてあることは間違いない。政府はリンクを認めていないが、基地を維持しているが故に通常の都道府県よりも大きなお金が沖縄県に投入されているのもまた事実である。
 沖縄県民も本当はわかっていると思うが、もし万が一基地が完全返還された時には県を維持できるのかという疑問がある。。沖縄県と日本全体の人口推移を示す(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88#/media/File:Population_of_Okinawa_prefecture,_Japan.png 、 http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf)
 日本の人口は、1950年に8000万人強であったものが1億2000万人強にまで増加した。他方、沖縄県民の人口は1950年に70万人程度であったものが140万人と倍増していることがわかる。ちなみに、戦争により多くの県民の命が失われたが、戦前の沖縄県人口は50〜60万人であって回復状況は日本全体と同じ傾向がみられる。

 1950年の人口/1940年の人口で表される比率は、沖縄県=1.23、日本全体=1.17と若干沖縄県の方が大きいが傾向は非常に近いものがある。ところが、2015年の推計人口/1950年の人口で表される比率を考えた時、沖縄県=2.00、日本全体=1.51とかなり大きな違いがみられる。
 要するに、沖縄県の戦後人口増加率は非常に大きいという訳である。人口が増加すれば、それに応じた産業が無ければ県民の生活を維持することはできない。しかし、沖縄県では観光という最大の産業はあるものの、それ以外の大きな雇用を賄える産業は育っていないのが現実である(http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sangyo/c1_uchiw.html)。同じような亜熱帯性気候でも台湾では電子産業を中心に巨大企業も生まれており、環境により生れ得ないものではない。
 少し前には、データのバックアップセンターとして沖縄を活用する動きもある(http://www.pref.okinawa.jp/iipd/okinawa/)など、あたらな産業を花開かせる可能性は十分に秘めている。

 原状、沖縄県の振興予算として内閣府沖縄総合事務局についている予算は8年間で2兆4000億円という人口規模から考えれば他の都道府県では考えられないほどの大きなものとなっている(http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chosei/kikaku/documents/q7okinawasinkouyosannosuii.pdf)。これは米軍や自衛隊のために付与されている予算とも別枠である。都道府県に渡される交付金とも別物であるため沖縄県は他の都道府県とは別枠で大きな予算を得ていることになる。ただ、こうした費用は大部分が建設関係の発注に回されている。
 そうせざるを得ないのは、沖縄県の産業構造が歪(いびつ)でありばらまき以外での大きな予算をする上では避けては通れないことが関係しているのであろう。そして、現状で公共工事の不落率(入札が成立しない割合)はおそらく沖縄が一番高い。すなわち沖縄の建設業界は活況であるのだが、全ての県民が豊かになっているわけでは無い。
 実は、基地反対闘争はこうした県民間の所得格差にその原因があるのではないかとする意見も見られる(http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2015/04/post-918.php)。

 さて、中国の海洋進出に伴う強引な活動から日本と中国との軋轢があるのは間違いない事実であるが、その防衛のために沖縄にアメリカ軍を配備するという状況は永遠に続くとは限らない。アメリカ軍が世界的な軍隊配備を見直しているのは既に知られており、グアムに沖縄に展開する軍隊の一部を移転する動きもみられる。
 中国に対する睨みとしては在沖縄米軍は一定のプレゼンスを誇るが、機能として十分効率的とは言えないこともまた多くの人が言及している。日本国内他地域への移転だけではなく海上基地などの別途手法や、レーザー兵器などの武器のパラダイムシフトにより状況が大きく変化する可能性は高い。

 実は、日本政府としても沖縄から基地を減らすことができれば財政的な負担が小さくできるため、それが可能となるならば移転したいというのが本音ではないかと私は考えている。ただ、現状でそれに言及するのは中国に誤ったメッセージを与えかねないこと、また防衛問題でも日本の武器開発を大きく進められない現実があることなどハードルは高い。
 ただ、沖縄県からすれば問題が解決する時のことを今から考えておかなければならないのは言うまでもない。大阪空港(伊丹空港)空港は、関西国際空港が完成すれば閉鎖するはずであった。騒音問題が廃止論の最も大きな理由であり、実際関西国際空港が完成するまでは廃止に対する声が大多数であったように記憶している。
 ただ、関空の完成直前になり突如として空港の存在により利益を得ている人たちの運動から存続が決まることとなった。この構図は非常に現在の沖縄問題と似ているように私は思う。

 ここまで様々なことに触れてきたが、実は一番言いたいのは辺野古埋め立てを反対するのであれば、きちんと那覇空港拡張埋立てにも反対すべきであるということが今回の主旨であった。もっとも、沖縄は新しい産業を生み出す努力の必要ではあるが、それ以上に現状の観光産業をより盛んにする必要があると私は考える。
 現在の円安により沖縄を訪れる外国人も多いであろう。ならばこそ、空港の整備は一つの大きな価値を持っている。きちんとしたアセスメントを行い、現状改変をできるだけ少なくすることと、その後の環境悪化が引き起こされないことをきちんと考えた上で、整備をするというのは私としては必要かと思う。
 それが許されるのであれば、辺野古も沖縄から米軍を減らす一つのステップとして位置付けることは、最善ではないものの一つの形としてはありだと思うのだがどうであろうか?

 というのも、本当に将来的に沖縄を独立させようと考えていたり、中国の庇護を受けようと考えているのであれば別だが、産業育成の時間を確保するために政府の支援を受けようとするのであれば、なんらかの妥協策をもって対応する方が良いと思う。
 負け戦ではなく戦術的な妥協だと私は思うのだが、沖縄世論を煽って無理難題により政府と対立すると、苦境に落ちいりつつある韓国を見ているようで心が苦しい。