Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

メディアと世間の間隔

 第4の権力であるとか、身内に甘いとか、権力の監視者という立場を超えて世論誘導を行っているとか、巷でマスコミを叩く声は確かにかなり多い。実際、私自身かつてマスコミの横柄な態度に辟易し、必要なキーワドを切り取り報道するための誘導尋問に嫌悪感を強く受けたこともある。だが、同時に最近は疎遠になったが記者の友人もいて、個人としては決して悪い人ではなく知識もユーモアも豊富な楽しい人物であった。
 私自身、一部マスコミの偏執的ではないかと思うほどの行動原理には失望を超えた絶望的なイメージを抱いたりもするし、その燃え盛るような少し誤っているのではないかと思う情熱はどこから来るのかと気になったりもする。だが最も大きな問題は、マスコミが自身が信じていることを頑張るほどに、サイレントマジョリティたる世間との意見や認識の乖離が益々広がっていくのではないかと感じていることにある。
 もちろんすべてのメディア(マスコミ)が同じ方向を向いているわけではない。右も左も、大きな政府を指向するものも小さな政府を求めるものもメディア自身が百花繚乱でるのは知っている。だから、今私がイメージしているものは確かに特定の既存マスコミと考えてもらっても良い。だが、同様のことは大小こそあれどマスコミ・メディア業界全体に言えると個人的には考えている。考えてもみよう。新聞もテレビも自身の影響力の低下をまさに嘆いているではないか。

 ここでは比較的わかりやすいと思う一例をあげてみよう。昔の55体制時と同じかどうかはわからない。だが、民進党にしても政権に批判的なメディアにしても、安倍政権を叩くボルテージが上がり過ぎて周りが見えなくなっているようにすら見える。そこには、彼らなりの絶望感でありルサンチマンが存在しているのではないかと勘繰ってしまうのだ。もう少し具体的に言えば、これまで全力を挙げて積み重ねてきた世論を誘導する力とそれに基づき構築された信用が、ネットの広がりと共に瓦解し始めているという緩やかな現実と今後に見える潜在的な恐怖感との戦いでもある。
 この戦いは、敵があってないようなもの。なぜなら社会認識や私たちを取り巻く環境が変化したから生じたものであり、政敵や主義主張を異にする存在の状況が劇的に変化したわけではないことがその理由の一つ。もちろん、安倍政権も一期目と比べて大きく基盤が安定し、安易なぼろを出さなくなっているため、世論を上手く煽れないというのもある。

 本来は、環境や状況の変化に伴い自分たちこそが変わらなければならないのだが、それが上手く出来ない(どちらかといえば、自ら過去に縛られ、変えようと考えない)からこそ何とも言えない居心地の悪さを感じているのであろう。そして、政権側に容易につけ入る隙がないからこそ必死になって、自爆攻撃も厭わず安倍政権の失態を引き出そうと必死になっている。あたかも、難攻不落の賞金首を取り合い争うハンターのように。さらに言えば、その敵は基本に専守防衛で強引な攻撃は仕掛けられないという非対称の状況を利用して。
 そんな状況をサイレントマジョリティは、生暖かく見ている。考えてみれば、安倍政権の支持率は過去の政権を見ても突出して高く安定している。もちろん、ライバルとなるような存在がいないことが一番の理由であることは間違いない。安倍政権が全て優れた政策を推し進めているわけではない。特に経済政策はもっと大きな改善の余地があると私は思う。
 だが、少なくとも少数の思い込みのある人を除けば現状の安定した政権は安定感において信頼を得ている。それを代替案もないままにあらゆる手段を使って引きずり降ろそうという行為を、少なくとも状況を見ているサイレントマジョリティはどう思うのであろうか。

 その状況はジャパンディスカウントに明け暮れるどこかの国の行動と似ている。相手を低く貶めれば、自分たちの価値が相対的に上がるというのは、限られた範囲内では成立する論理だ。だが、相対的に引き上げられる存在が自分たちになるというのは、相当に甘い認識ではないか。
 そして、こうした甘い行動が現状では自らの価値をさらに毀損していると私は思う。信用を積み重ねる行為とは全く逆の行動。少し考えればわかるにも関わらず、それをできない状況。
 それは気が付けば大きくなっていた自らの失敗を、起死回生とばかりに挽回しようと狙っている。言葉は違うが、一気に逆転するというギャンブルにチャレンジしている行動である。だが仮に、メディアが安倍政権の大きな失態を発見したとしよう。もちろん、その情報はセンセーショナルに取り上げられる。何せ取り上げるのはメディア自身なのだ。だが、それでも社会全体としてメディアの信用が大きく回復することはないと私は断言する。
 なぜなら、そこまでの過程も全て国民は知っているからである。膨大な情報の流れに忘れられそうな情報も、今の時代では直ぐに発見されてしまう。実は近年話題の「忘れられる権利」を誰よりも欲しているのは、大きな傷を脛に持つメディアそのものではないかと邪推させてくれる。
 マスコミは、正論で押し通し切れないからスキャンダルでも何でも何か功を挙げようと必死になっている。それは仲間内からは正しく良い行動と評価されるかもしれないが、第三者的な立場からは全く異なる風景に見えるであろう。サイレントマジョリティはもう潜在的な仲間や支持者ではない。その支持を取り付けるために必要な行動や姿勢は、今行っているものと違うと考えられないのであろうか。

 少なくとも現状の姿勢を続ける限り、メディアもそして民進党も大きな支持を得られるとは思わない。反原発も沖縄基地問題も使い方によればもっと政治的に利用できるテーマだとは思うが、見ている方向を間違っているので大きな力を得ることはできていない。
 多くの業界は環境の変化により大きな苦難を経験した。そして、それを乗り越える苦しみを潜り抜け、あるいは今のその過程にある。メディア業界がそれを受けずに済む理由はどこにもない。その覚悟を抱き、現状を正しく認識・理解できない限り、メディアと世間の乖離は広がりこそすれ狭まることはないだろう。