Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

都心回帰のその先

 ここにきて大学の都心回帰が活発化している(http://www.sankei.com/life/news/141202/lif1412020001-n1.html)。原因の一つは間違いなく少子化にある。大学は選ぶ側から選ばれる側へと大きく変化してしまった。大学の知名度やブランド力により、地方都市であっても学生を引き寄せられるという考え方は脆くも打ち砕かれ、より利便性の高い場所にある方が有利であるということを証明した訳である。
 それを多くの大学が認めたからこそ、現状のキャンパス都心回帰がクローズアップされることとなった。元々、少子化の進行により大学の過当競争が始まっていたのだから、いつまでも安穏とできないことは自明であった。いや、多くの大学では受験生の動向には非常に敏感であろう。特に私立大学の場合には企業経営としての問題が常に付きまとう。だからこそ、より有利な地位を得ようと立地を変える行為にも踏み切る。

 一時、郊外へ出てより広く豊かな環境を求めたのも時代の背景(受験生の要望ではない)によってだったが、今都心回帰するのも大学経営上の評価指標のウエイトが変わったというに過ぎない。
 そういえば、近畿大学が僅かの差ではあるが受験生数日本一になったとの報道があった(http://blogos.com/article/99238/)。広報戦略が良かったとか、ネット出願割引が効果を得たとか様々な分析がなされているが、何よりも首都圏の大学以外が非常に多くの受験生を集めたということは大きなインパクトを持つと考えてよいであろう。むろん、トップの地位は来年度にすぐ変わるかもしれないし、細かな話はどうでも良い。ただ、都心回帰が必要な事由には単純に便利である以上の意味を内包しているのではないかと感じるのだ。

 私は、今回の減少に見られる都心回帰の問題はその上で、大学立地に関する東京ブランドの地位低下があるのではないかと見ている。これは、経済低迷に伴う親の収入の減少とも結びついていると考えるべきであろう。大学は理系学生の囲い込みや収入の安定化も踏まえて大学院への進学も増やす向きがある。
 ところが、大学院まで行こうとなると4年ではなく最低6年(修士課程まで想定)の期間を必要とする。この費用を捻出するのは決して容易ではない。奨学金制度が意思を持つ受験生の進学をサポートするが、こちらも就職後に酔いに返却できない額を借りなければならないという問題を抱えている。

 現状、私立大学の年間学費は多少の差はあるだろうが120万〜200万程度である(医学部や音楽大学など特殊なところは含まない)。理系文系で差はあるが、中央値は150〜160万でないかと思う。この金額は今も増加し続けている感がある。確かに欧米の私立大学と比べれば半分程度と安いのだが(http://toyokeizai.net/articles/-/11862?page=5)、これも様々な授業料減免制度を考えると一概には比べられない。
 さて、年間150万円とすれば月におよそ12〜13万円である。これに加えて下宿費用を考えると、必要な経費は月に20万円は優に超える。都心回帰すれば下宿費用が増加するが、それでも有利なのは首都圏の人口の多い場所からの学生が下宿せずに通えるというメリットがあるのであろう。キャンパスが郊外にあるでは、首都圏の事項カバー率が低下してしまうというデメリットがある。それを他地域からカバーできないのであれば、郊外にキャンパスを構えるメリットは低下する。
 ただ、郊外の都市や地域では大学の集客力に大きく期待していただろうから、様々な学生相手の販売店や学生の下宿を狙った貸家(アパートなど)は大打撃を受けたに違いあるまい。10年程度で都心回帰されれば、投資金額を回収できないで終わる可能性は高い。

 大学のランク付けは、様々な受験関係機関において偏差値を中心に詳しく作られている。多くの受験生は、大学の中身ではなく大学のステイタスと自分の入学可能性を勘案して受験校を決める(学部・学科選択において興味は担保されるがそれも時に流動的だ)。これらに加えて大学での生活可能性が検討され最終的な目標校が決まる。
 正確な統計データは知らないが、親の収入減少により高い学力を有していても地元の国立大学法人を受験する学生が増えているという話も聞く。大学進学における学生たちの上を目指すというギラギラとした意識はそれほど強く感じられない。もちろん常にトップを目指そうとする人は必ず存在するが、その割合が低下しているかもしれないということである。
 これは、草食化などと言う比喩が当たり前のように用いられる学生たちの意識の変化があるのではないか。粗暴な若者を減らすための努力を続けてきた結果は、ある意味において見事に結実した。多少のデメリットを抱えながら。

 都心回帰が、各大学に広がるほどにその効果は薄まっていく。結局のところパイの奪い合いに早く参加したか遅れて参加したかの違いであるが、これは大学の価値を内容よりも立地が優先すると意識していることも裏返しとなる。当然立地のみで決まるわけでは無いことも誰もが知っているが、立地のウエイトが想定以上に上昇していることに対して危機感を抱くべきは当然だろう。
 近畿大学の戦略が正しいのかどうかは何とも言えないが、私立大学の多くに定員割れが生じているという現状は、学費の問題も関係しているのは間違いないだろうがそれ以上に受験生に夢や希望を与えるような状況が薄れつつあるということではないか(参考:http://kakichirashi.hatenadiary.jp/entry/2014/01/29/211957)と感じている。
 ネットにおける情報が氾濫しているこの時代では様々な情報を瞬時に入手でき、それを逆手にとった戦略も同時に立案できる。容易に差をつけがたくなるからこそ、大学は過去に築いたネームバリューに最大限寄りかかることで安住を覚えられる。
 しかし、それが全てではないものの国際教養大学(http://web.aiu.ac.jp/)が一定の成功を収めていることを見れば、そこにどれだけの可能性を感じさせることができるのかが問われている。私立大学が著名人を講師や特任教授・客員教授に呼ぶことも刹那的ではあるが興味を引き付けるための行為である。もちろん、それだけで入学志望にまで結び付けられるわけでは無い。

 都心回帰は一時的なパッチワーク戦術であるが、その先を見通せるほどの力を持った戦略ではない。ただ、そうではあっても動きの悪い大学が生き残れなくなっていくということに違いはないだろう。