Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

就活試験

 大学入試センター試験の廃止と新たな学力テストの導入が少し先に始まろうとしている(https://www.koukouseishinbun.jp/2015/06/34584.html)。まだ、方式が完全に固まっている訳ではないだろうが、思考力を今まで以上の棟ような内容になると共に、複数回受験も検討されているようである。複数回受験が可能となればTOEICのようなスコア式になるというイメージも湧く。
 具体的な形が判らないのでそれ以上のことは言えないが、受験テクニック礼賛の状況よりは良くなってほしいとも思う。上手いけばであるが、高校での学習方法が今まで以上に考えることを問うものになって欲しいといった期待も持っている。

 一方で、少子化の進展から大学はAO入試や推薦入試の枠をどんどんと広げてきた。平成24年度の資料だが、私立大学の半数以上がAO入試あるいは推薦入試により合格が決まっているというデータがある(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo12/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/01/09/1329266_1.pdf)。なお、同資料によると国立大学でも約15%、公立大学で約26%である。と言うのも、私立大学の約半数は定員割れであり、定員充足率の低い大学では80%近くをAOまたは推薦入試に頼っている現状があることが影響している。ちなみに言えば、国立大学協会ではAO・推薦入試率を30%まで拡大することを提案している(http://www.sankei.com/life/news/150922/lif1509220013-n1.html)。経営的な観点からの提案であると思うが、それが本当に国立大学法人に求められていることなのかについては少々疑問も持っている。もちろん、AO入試や推薦入試が相応の厳しい基準を持って的確に行われるのであれば、それは建前上意味があることなので単純に排除すればよいというものではない。しかし、現実に大学側と受験生側双方の入試の手間を省くための手段(ついでに言えば、それによる受験生の囲い込みを行う)となっていれば、本末転倒と言えるのではないか。この構図は、ゆとり教育のパターンと似ているように思うのだ。
 ただ、今回は大学そのものの在り方を問おうというのではない。だから、入試制度の良し悪しに言及するつもりはなく、このような状況にあるということを知っておくためのものとして提示しておきたい。
 要するに、掻い摘んで言えば昔よりも随分大学には入りやすくなっているということである。現実に、浪人生が昔と比べて随分減少しているという現実がある(http://news.mynavi.jp/news/2014/04/05/082/)。1992年の浪人率が34.9%であったものが、2013年には12.4%というのだから、格段に減少してるのが判る。

 一方で就職戦線については、ここ数年若干景気が上向きであることもあって好調のようである。長らく続いた氷河期とは異なり、売り手市場と言い切れるほどではないものの業種によってはかなり好調のようだ。しかし、一時期は就職氷河期とも呼べるような時代がかなり長く続き、有名企業の門は非常に狭かった時代もあった。また、かつての理系では大学教員からの推薦で就職先が実質的に決定するケースも多かったが、今では学生が主体的に就職活動をしなければならないということで、就活性側にも企業側にも過度の負担がかかっている現状がある。
 負担を理解した上で、相応の力を投入して採用を行うのであれば何の問題もないのだが、現実にはそこまで人員を割けないというのがある。結果として形式上選考を行っているように飾っているが、初期の選考段階では大学ブランド等により篩にかけるということが公然化している(そうしないと表明しているところもあるが)。
 また、就職を巡る取り決めについても状況が二転三転している。昨年度に会社説明会の実施時期並びに面接などの選考期間をそれぞれ3月からと8月からに大幅に後ろ倒ししたのだが、早速今年からは選考期間を6月に前倒しと変更される予定である(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151024-00050105-yom-bus_all)。
 昨年の場合にも、業界によっては1月や2月の内にエントリを締め切って、早々に3月頃内々定を出していたところも少なくない。実質的にルールが守られていないところもあるようだが、この決まり自体が法的な罰則力を持つものではなく自主規制なのだから、ある意味当然のことなのかも知れない。

 こうした事態に原因そのものは分析不足で、原因がここにあると特定できる訳ではないが、私は企業の採用選考があまり上手くいっていないことに一つの要因があるのではないかと思っている。さらに企業は新卒志向が非常に強く、就職浪人するくらいならば留年した方が有利という話もある(http://diamond.jp/articles/-/54524)。内実が重要で両者を比較する事に意味はないという話はその通りなのだが、採用に時間をかけない場合にはこうした点は表面的に重要なポイントとなりやすい。
 また、卒業研究の成果を採用において評価していないという時点で、現在の就職システムは大学の存在意義はないという意見もある(http://agora-web.jp/archives/1658026.html)。存在意義はさておき、大学生の集大成となる卒業研究を評価できない段階で、学生の中身を十分見ることが出来ているのかには疑問が湧いてくる。企業側が、その研究内容を正当に評価できるかと問われれば、これもまた難しいのだが。あるいは、企業は研究成果などを求めているのではないという事も同時に言える。
 学生にとっても、企業にとっても大学というのは入学した時点で終了しているブランドだと言う事だ。

 さて以上のような点を考えて極論を述べると、大学入学の時に総合的な試験を課すよりも就職時に試験を課した方が今の日本にとっては意味があるのではないかと考えたりする。大学でどれだけの知識を得て、またどれだけの社会常識を得ているのか。専門知識についてはジャンルが広くて難しいかもしれないが、それこそその部分は企業が追加試験として課せばよい。
 現在も形式的になおか、フィルターとして機能させているのかはわからないが、SPI(https://ja.wikipedia.org/wiki/SPI%E7%B7%8F%E5%90%88%E6%A4%9C%E6%9F%BB)検査を行っているところも少なくない。であれば、学習習熟度テストは大学入学時ではなく大学在学時に行ってしまえばよいの出はないか。極端な話をすれば、2年生や3年生でも受験できるテスト。このテストのスコアを就活時点で企業が評価する。まさに今、大学入試で改革的に行おうとしている事になる。

 実施している団体が違うとか、いろいろと問題はあるだろう。しかし、入りにくく出るのが容易と言われた日本の大学が入る事すら容易になった現在、出る時くらいに厳しい関門を作ってはどうかと思うのだ。そして、企業が採用選考のタスクを一部軽減できる。就職活動も簡素化できるのではないか(こうしたシステムを上手く使えて簡素化できればいいなと思う)。国としては、国力の大きな無駄遣いを低減できる機会でもある。
 暴論とは思うが、ちょっと考えてみても良いのではないだろうか。