Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

面倒な日常

 完璧主義や潔癖症といった性向は、一部の天才にとっては問題とならないかもしれないがその他大勢の人においてはマイナスのイメージの方が強い。孤高に完璧主義を最後まで貫けるのであれば、これもまた一つの立派なスタイルであると思うが、得てして多くの場合には計画倒れに終わりあるいはその後のリカバリーすらもおざなりになりがちである。結果として、孤高の姿勢はどこへやら計画は当初予定どおりには進むことなく失意の底に沈むか責任を周囲に転嫁する。
 潔癖症というのは一つの典型的な例なのかもしれないが、完璧主義というのは他者の(予想外の)介入を潔しとしないスタイルであるとも言える。自分一人で完璧に物事を推し進めるのは、それが許されやすい芸術的な分野ではそれなりに認められている状況がある。もちろん相応の結果を残しているという前提は必要だろうが、自らのみの内面に深く掘り下げていくさまは物事を極めると同時に外部の雑音をシャットアウトする行為でもある。

 あるいは人を使うにしても、完璧を追い求めるならば自分の采配により全てが動いている状態が理想である。現実には全ての人の全ての行動を操ることはできようもないが、一定のアバウトさを許容するならばそれを成立させることはできるだろう。
 もちろん、こうした完璧な結果を追い求められるのはごく一部の人に限られる。それを希望していても実際には思い通りにいかないのが人間であり、逆に言えばそうでありたいと努力を重ねる。他人どころか自分自身ですら思い通りにならないのが世の常であり、理想とのギャップから生まれる葛藤は世の中に満ち溢れている。

 結局のところ自らの能力が理想とするところまで届いていない故の精神的な自己軋轢なのだろうが、逆に言えば現実を適切に認識できていない(あるいは理性で認めることができない)ということでもある。求道的に完璧を追い求める人はいざ知れず、具体的な手段や覚悟を持たずに夢を(頭の中で)現実化しようと彷徨っている姿は、実のところ現実を受け入れた上で理想に突き進むという手続きを捨て去り、コンビニエンスに理想を手に入れようという思惑が見え隠れする。
 これがヴァーチャル世界が拡大している影響なのかは私としては何とも言えないが、日常が面倒なことは至極当然であるという受け入れたくない現実からの逃避心理が影響しているのは間違いない。

 整然とした、あるいは理想的な結果は私たちに一定の満足感を与えることは知っている。しかしながら、現実は理想とは異なり猥雑でかつ混沌でもある。私たちは決して終わることの無い整理を日々続けていかなくてはならない。もちろん理想の形を追い求めることは必須ではあるが、理想に至らないことを嘆くのではなく、少しでも理想に近づくことができたという事実を喜ぶべきではないだろうか。
 それを徒労と感じる人もいるかもしれないが、ある見方をすれば人生は本能に突き動かされる巨大な徒労であって、私たちはその中において細やかな喜びを見つけようとしている微々たる存在であるとも言えるだろう。ただそれを恥じる必要はないし、そんなちっぽけな私たちでも相応の満足を得ることができる。
 自分なりの心の足るを知り、それに応じた覚悟を決めることが面倒な日常を過ごしていく上で重要になるのだろう。