Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

橋下維新の失速

崩れた「大阪不敗神話」で失速「橋下維新」…どうなる大阪都構想イムリミットは1年半(http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131130/waf13113018000022-n1.htm

 私は別に橋下氏の政策の多くを評価しているわけではないが、メディアが持ち上げて落とした底の状態ほどには彼への大阪市民の信任は失っていないと思う。一時期彼が時代の寵児と持ち上げられた理由の一つは、そのエキセントリックな言動と小泉純一郎ばりの攻撃的な姿勢があったからである。マスコミが、その姿に小泉劇場の姿をかぶせたくなる心情は理解できなくはない。
 ただ彼は小泉純一郎氏ほどに老獪でなく、また良いブレーンを持っていなかった。加えて、人を見る目があまりないという欠点も持ち合わせていたと思う。一時的な人気の高まりを信じすぎたためか、数を頼りおそらく意見の大きく異なるメンバーを抱え込んだことが迷走の原因だと思うが、それはメディアの勝手な過大評価も原因の一つである。

 また、彼の外交に関するタカ派的な言動が一部の人気を得ていたこともあったが、それは当時の民主党政権との対比としての意味が強く、中国や韓国が極端に反日的な行動を続けてくれたおかげで、彼の言動が目立たなくなる状態にすらなっている(安倍政権が同じ役割を果たしている)。一時期敵対関係を演じてきた公務員ともいつまでも戦いきれるわけもなく、現状ではわかりやすい敵が存在しなくなったことも注目を集めにくくなった理由としてある。
 本来、建前で言うならば政治家は派手な言動で注目を集めるのではなく、政策や結果で評価や注目を集めることが重要となる。しかし、民主主義社会においては政策を推し進めるためには世論の支持無しには上手くいかない。結果として、何を為し得たかではなく何を為し得そうに感じるかが最も重要な要因となる。橋下氏の人気は、他の人には出来ないようなことを出来るのではないかという期待感から持ち上げられ、その期待感が種々の行動により失われたことで失速した。
 もしその期待感を取り戻そうとするならば、一つにはこれまでの何かではなく新た何かを持って行わなければならないであろう。新たな期待感を創出することであるが、これはなかなか容易なことではない。そしてもう一つの方法としては、以前抱かせた期待感がまだ色あせていないことを納得してもらうことになる。もちろんこちらの方法も容易ではないが、新たな別の何かを再び持ち出すことと比べればまだマシではないかと私は思う。

 人々が抱く期待感には、賞味期限と慣れが存在する。軽い期待感は賞味期限が切れると霧散するが、強い期待感は仮に期限が切れてもそれを選択した自分を諦められずに残り続ける。軽い期待感は繰り返せば慣れてしまい、抱けるレベルがどんどんと減退する。
 新しい何かを提示しても、それが与える期待感は前回の希望を失敗したと認識されていれば当然減退する。期待が積み重なるのは成功を重ねてきたからこそなのだから。だとすれば、話は元に戻るが今は派手な言動で世間を騒がせて注目を浴びるのではなく、一つ一つの成果を上げていくことではないかと思う。そしてそのためには、実のところ注目を浴びていないと言うことの方が重要なのかもしれない。

 民主党は間違いなく現状は迷走・失速している(というよりか第二社会党への道を進んでいる)と思うが、維新に関しては石原・橋下の二枚看板の個人商店的なところもあり、過剰な期待感が剥がれ落ちたに過ぎないと見る方が正しいのではないだろうか。