Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

知人ねぇ。。。

あまり全文の引用はしたくないのだが、記事はその打ち消されるだろうし全体を見なければわかりにくいこともあるので、私が気になった部分を強調してみたい。
毎日新聞 2013年10月22日 00時14分 記者の目:安倍首相の「積極的平和主義」=古本陽荘(http://mainichi.jp/opinion/news/20131022k0000m070117000c.html

 安倍晋三首相は先月の国連総会の演説で「積極的平和主義」を日本の外交・安全保障の基本理念として掲げた。内向きだった日本国民の目を国際的な課題に向け、より大きな責任を担うことを目指すとした首相の姿勢を私は率直に評価したいと思う。同時に、積極的平和主義を具体化する過程においては、何が日本の責務としてふさわしいか、国民的な議論を経ることが不可欠で、焦らずに対応するよう求めたい。
 首相が言う積極的平和主義とは何なのか。国連演説で首相は、「世界のパワーバランスの変化」と
「技術の革新」により新たな脅威が生まれ、しかも国境を超えて押し寄せる可能性を指摘した。そして、「いかなる国といえども、今や一国のみでは、自らの平和と安全を守ることなどかなわない」と主張し、自国の防衛のためにも、国際的な平和構築に積極的に関わるべきだとの立場を鮮明にした。
 国連で首相が例に挙げたのは、国連平和維持活動(PKO)など国連の集団安全保障に積極的に参加する努力と、そのための人材育成だった。さらに、翌日の記者会見では、シリア内戦の避難民支援やイランの核開発問題で日本が果たす外交努力も「積極的平和主義の一環」と語った。
 こうした発言から見る限り、首相の目指す積極的平和主義とは1990年代に国際貢献とか能動的平和主義と呼ばれていたものに近い。政府は自衛隊を92年のカンボジアPKOに初めて派遣した。その後、シリアのゴラン高原東ティモールなどのPKOを経て、イラクアフガニスタン両戦争の際には特別措置法により人道支援や他国軍の支援にあたった。だが、首相はこうした「実績、揺るぎない評価を土台とし新たに積極的平和主義の旗を掲げる」と語っており、さらに次元の高い活動を想定していることが明白だ。

 ◇念頭にあるのは憲法解釈の変更
 これまで首相は、自衛隊が他国軍隊の援護に駆け付けることや、共同作戦に当たっている米軍艦艇を自衛隊艦艇が防護することが憲法解釈で禁じられている現状に疑問を呈してきた。積極的平和主義が、憲法解釈の変更を伴う自衛隊による治安任務や集団的自衛権の行使を念頭に置いているのは間違いない。さらに、憲法9条の改正も視野に入っているのかもしれない。主体的な国際貢献を提唱する首相の姿勢は支持したいが、積極的平和主義のキャッチフレーズが先行し、議論が置き去りになっていることには違和感を覚えている。首相は訪米時の会見で「積極的平和主義の中身について話し、多くの方が賛意を示してくれた」と手応えを強調した。確かに、久しぶりに日本に長期政権が生まれる可能性があるとして安倍首相の注目度は高かった。だが、評価する声は安倍政権の経済政策に集中していたというのが私の受け止めだ保守系シンクタンク「ハドソン研究所」が主催した講演会でさえ、スピーチのメインは経済政策で、首相が「私にとって何にも優先する課題とは経済の再建にほかならない」と明言し拍手を浴びた。
 ◇中韓は否定的 米も実は警戒
 一方、首相の訪米時の演説に対して、中国からは「日本の指導者は国際社会の懸念に真面目に向き合うべきだ」(外務省副報道局長)との批判が出た。韓国からは、女性の性暴力対策に取り組む首相演説のくだりから、従軍慰安婦問題に取り組むよう求める声が出るなど、両国から否定的な反応が出た。米政府も東アジアのもう一つの同盟国、韓国との関係が悪化する形で積極的平和主義が進む可能性については内実、警戒している。米政府に知己の多い知人の記者は「韓国との関係改善が今でも安倍政権に対する米政府の評価基準だ」と断言する

 首相はハドソン演説で、「私に与えられた歴史的使命」について語った。まず、経済再生で「日本に再び活力を与え」、日本人が「前向きになるよう励ます」。その結果、日本人が「積極的平和主義のための誇らしい担い手となるよう促していく」ことだ。
 国民の意識改革は一朝一夕にというわけにはいかない。首相がかなりの長期的な視野でこの構想を練っていることがうかがえる。だとすれば、なおさら、焦る必要はない。日本にとってふさわしい国際貢献とは何なのか。周辺国や世界は何を日本に望んでいるのか。首相にはぜひ国民的な大議論をリードし、時間をかけて積極的平和主義を実現してもらいたい。(政治部)

 簡単にまとめると
前段:積極的平和主義の概説
憲法第9条の改正を視野に入れた動きには絶対に反対する
②私は欧米は首相の経済政策のみを評価していると見ている
③中国と韓国は首相の積極的な平和主義を警戒している
④私の知人はアメリカ政府が「韓国との改善を評価基準としている」と断言していた
まとめ:あわてず時間をかけて議論すべき

 「前段」と「まとめ」の部分についての意見については私も特に大きな異存はない。しかし、間に挟まれた意見表明部分には見事に根拠の薄い論理性のない理由が並べられていて、正直腹を抱えて笑いそうになった。「私の受け止め」とか「知人の記者の断言」とか主観的な理由がその中心に据えられているのだから、論理的な思考というよりは意図的な主義主張の陳述と言うべきであろう。一個人としてのオピニオンということなのでこういう書き方も許容範囲なのかもしれないが、あまりの根拠のなさに便所の落書きと変わらない感覚を受けたのは私だけであろうか。
 新聞記事の劣化が激しいのは多くの人が感じているところであろうが、実は劣化が激しいのではなく元々新聞記事のレベルがこの程度であったということなのだろうと私は思う。ただ、ネット発達以前は新聞と同程度に速報性に優れた社会に関する言説がなかっただけなのだ。それ故に、人々は新聞情報に過度の信頼を置いてきた。
 しかし、今や新聞以上に知識や分析力のある情報が世の中には溢れており、しかもそこに容易にアクセスが可能である。以前にも何度も触れてきたが、新聞は今の体制では一部の一次情報に関する情報源としての地位しか残らなくなるだろう。しかしその地位すら、記者クラブと言う特権に依存しているのである。

 既存メディアの凋落を目の当たりにすることは、特権的な態度を振りかざしてきた彼らに対する「ざまあみろ」という愉悦を感じさせるとともに、日本という国家における健全な情報の在り方が混迷していることを感じさせるという意味で、当惑を覚える状況にも至っている。