Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

デザイナーベイビー

 技術が先行し、倫理が後を追いかけるというのは工業化の幕開けと共に今も続く一種のお決まりである。利便性追求の先に新しい技術が考案され、倫理的検証は後回しにまず実用性のチェックが行われる。もちろん最終的にそれが社会に広まるかどうかは、技術を生み出した者が一人で決められる訳ではなく、企業内であったりあるいは政府機関であったり様々な検閲を受ける。
 こうした検閲は社会的な受入可能性の判断を行うものであるが、技術のレベルによりチェックを行うレベルが異なる。倫理面にまで踏み込んだチェックをすることもあれば、企業の利益を強く意識したものもあるだろう。
 記憶に新しいものとしては、カネボウの美白化粧品が白斑を生じさせたケースなどがある(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2035463.html)。現状で症状が確認された人が1万5000人、被害が重篤だとされる人は5200人に及んでいることをカネボウが認めている。
 少し前にも、茶のしずく石鹸がアレルギー誘発問題にて大きな被害を出している(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120421/trl12042100270000-n1.htm)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%A0%E9%A6%99)。

 さて、生命倫理に関わる技術についてはこれらのような直接的な被害を与える以前に、安全面や倫理面での懸念が表明されているものである。例えば、遺伝子組み換え作物(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E7%B5%84%E3%81%BF%E6%8F%9B%E3%81%88%E4%BD%9C%E7%89%A9)は消費者から大きな懸念が発せられ、それを使用した食品が実際に日本の店頭に並ぶことは少ない。
 とは言え、人々の口に直接入るもの以外では既に様々なところで用いられている。日本の場合でも飼料などを含めた遺伝子組み換え穀物の輸入は、輸入量全体の半分以上を越えていると想定されている。アメリカでは既に大豆のほぼ全数が遺伝子組み換え作物であり、トウモロコシも70%を超えるとされる。また、食品以外などでは木材など一部では遺伝子組み換え技術が用いられている分野もある(http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/project/pdf/gm1.pdf)。
 いずれにしても、短期的にはメリットがあり長期的には未知の危険性があるかもしれないという状況を如何に評価するかという問題である。

 こうしたケースが人間そのものに及ぶ場合には特に拒否反応が強いのは、ある意味において当然のことと言えるだろう。
現実味増す「デザイナーベイビー」 遺伝子解析技術 米で特許(http://www.sankeibiz.jp/express/news/131021/exh1310210047000-n1.htm
デザイナーベイビー(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC)
クローン人間以上に切迫した「デザイナーベビー」の問題(http://wired.jp/2002/03/04/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA%E9%96%93%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%AB%E5%88%87%E8%BF%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%8C%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC/

 一時期クローン人間の製造に関する議論が高まったことがあったが、倫理的に許されるべきではないという考えが現在でも主流となっている(http://www.kagakunavi.jp/document/show/109/documents)。しかし、デザイナーベイビー問題は新たな課題を私たちに突き付けている。
 確かに現状では、病気などの罹患確率や身体的特徴の予測などに限定された情報ではあるが、技術的な進歩が伴えばその改善に至る方向性が出るのは全くおかしな話ではない。しかし、優れた人間を生み出すという人間の優劣に踏み込む危険性が大きく内在されることにもつながる。病気のリスクを下げる遺伝子改変技術と容姿を改変する技術の間にどれだけの差異があるというのだろうか。
 親とすれば、子供の将来を考えれば欠点は少しでも少ない方が良いであろう。しかし、多くの場所で合成の誤謬が見受けられるように、個人レベルでの最適化は社会全体の最適化とは一致しない。いや、むしろ反対の方向性を生み出すことも少なくない。これらは、金融危機を巡る社会のひずみと何も変わらないのだ。

 極論を言ってしまえば、病気の可能性が高い子供のみに遺伝子改変が認められたとすれば、その方が望ましい結果になるとすれば皆が病気の可能性の高まりを期待するなどという本末転倒さえ起こり得る。この問題は、決して小さなことではないように感じられる。