Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ロマ族

 以前より欧州各地では移民問題が社会的な懸念として燻り続けているが、フランスにおけるロマ族(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E)の問題はこれらの懸念を大きく顕在化させる可能性を有している。日本人からすれば「ロマ」族という名称にはなじみが薄いかもしれないが、「ジプシー」だとか「ボヘミアン」と言う言葉は聞いたことがあるだろう。よく歌詞にも用いられてきたものではあるが、その場合は「漂流者」であるとか「流れ者」といったニュアンスが強く込められている。
 現実のロマ族は、このジプシーと呼ばれてきた移動民族のうちで主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する集団のことを指している。フランスでは「ジタン」とか「ボエミアン」とも呼ばれてきたが、現在では東欧で一般的に用いられている「ロマ」の呼称が主流となっている。

 「ロマ」族に対する社会的な認識は非常に悪く、「ヒターノ」「ジプシー」や「ツィンガニ」「ツィガーニ」などという呼び方から派生した各国での呼称は、物乞い、盗人、麻薬の売人などの代名詞のように使われる場合が非常に多い。
 「ジプシー」という言葉から日本人が想像するイメージとは裏腹に、犯罪を繰り返す集団と認識されているという訳だ。もちろんすべてのロマ族がそうではないだろうが、こうした認識は中世から続いており非常に根深いものでもある。その原因は、浮遊民族である彼らが欧州各地で様々な犯罪を繰り返したことに起因しているとされる。
 近代以降も、特にナチスドイツではロマ族を劣等民族として強く弾圧している。ナチスアーリア人至上主義を標榜し、ユダヤ人弾圧を行ったことはよく知られているが、同じアーリア人系列であるロマ族に対しても生活習慣や考え方などの根本的な違いを理由に厳しい政策を実行した。
 現状、欧州各国に散らばるロマ族の総数は1,000万〜1,200万人と推計されているようだが、その多くは東欧に住んでいる。しかし、いずれの地域においてもロマ族は差別の対象とされており、歴史的な差別の継続がロマ族を貧困に追いやり、結果として犯罪に手を染めるものが後を絶たないという負の連鎖が現在も継続しているようである。

 最近ではロマを巡るニュースに事欠かない。
ロマ族の集落で白人の少女を保護、誘拐の可能性も ギリシャhttp://www.cnn.co.jp/world/35038728.html
校外学習中に強制送還のロマ少女一家、コソボで襲撃される(http://www.afpbb.com/articles/-/3001793

 前者のニュースは、ロマ族が大掛かりな人身売買に関わっているのではないかという疑いがもたれている。東欧はアジアと並び人身売買が非常に大きな問題となっている地域である。特に子供や女性を誘拐して売り飛ばす手口は枚挙にいとまがない。
 後者は不法移民を追放するフランスの政策が一部で批判を浴びたものではあるが、追い返されたコソボでも安全が確保できないという痛ましい状況を表している。現状の流れでは、フランス政府は学校に通っていた少女のみを許可するという方針だが、この家族は皆でフランスに戻ると主張している。同じようなケースは、日本でも不法滞在の外国人家族に下されている処分であり、フランスが特別という訳ではない。むしろ、フランスは比較的よく移民を受け入れてきた方であろう。
 アムネスティなどは、ロマへの迫害がこのような状況を生み出しているとしているが、歴史的な経緯があるため差別を容易に拭い去ることはできない。実際、欧州人の多くはロマは貧困の為ではなく犯罪を行うものと信じているとも言われる。
 また、ロマはその教義故なのか民族的資質なのか、流浪を続けて何百年と経過しているが他の民族とは全く協調性を持たず同化もしない。最近では同化させること自体が民族差別であるという論調も出始めているが、社会に馴染もうとしないのだと考えればトラブルメーカーとして認識されるのはある意味仕方がないかもしれない。

 他民族との共生が難しいのは、お互いの歩みよりによって成し遂げられるはずの共生が、一方がそれを拒絶することにより難しくしてしまっていることが多く、またそれが少数側の問題であることが非常に多い。仮に、受け入れる多数側が大きな配慮をしていたとしても、少数側の無制限な主張の全てを受け入れられるはずもない。
 日本における在日朝鮮人(韓国人)の問題も、ケースこそ違えど問題の所在は同じといえるだろう。何も差別は一部に集中しているわけではない。寛容の心が大切なのは間違いないが、それは両者がその認識を同じにしなければ成立しない。そして、多くの場合は少数者は自己の状況の不利を覆すべく、より大きな寛容を要求するようになりがちである。
 多文化の共生が難しいのはこの線引きが曖昧であるからゆえであろう。ロマの問題は、こうした多文化共生の最も困難な部分を見せつけてくれる。