Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

セカンドライフは復活するか

 遠い記憶の彼方に葬り去られたような名前ではあるが、かつて一世を風靡したシステムは現在も生き延びている。
Second Lifeが高速化環境へ移行、ユーザーはアップデートを(http://news.mynavi.jp/news/2013/08/21/231/index.html)

 私は電脳スペースにそれほど興味がなく、このブログこそ書いているがフェイスブックツイッターも一切利用しない。かつてmixiSNSを少々(実質2年ほど)嗜みはしたが、それも自分で勝手に文章は書くものの人のところにお邪魔することはほとんどなかった。だから、そんな私からすればセカンドライフ(http://ja.wikipedia.org/wiki/Second_Life)についてはそれほど強い興味を抱く理由も必然性もない。
 ただ、移り変わりが激しく人が寄り付かなくなるとすぐに消えていく電脳世界の儚さを考える時、未だに存続しておりあまつさえ環境整備に精を出していることには驚きを覚えた。
 wikiの情報によれば、「2009年末時点で、同時ログインユーザ数は最大6〜7万人、一週間あたりのログインユーザ数は40万〜60万人程度である」らしいが、この数値も2009年以降は書かれていないのが寂しさをそそる。フェイスブック(http://ja.wikipedia.org/wiki/Facebook)のアクティブユーザーは10億人を超えたとされ、新興のLINE(http://ja.wikipedia.org/wiki/LINE_%28%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%29)のユーザーも1.5億人を超えたとされるのと比べても、数の上での劣勢は明らかである。

 セカンドライフは完全なる別人格を構築するシステムであり、ミッションのないオンラインゲームであって、場合によっては2ちゃんねるで演じる人格であり、あるいはSNSで言えば招待制を止めた後のmixiに近いかもしれない。mixiは元々閉鎖的な匿名空間であったが、その閉鎖性ゆえに匿名ではなく実名を用いていたものの少なくなかった。ところが、様々な理由はあっただろうがそれがオープンにされ、一時期実名登録が徒となった出来事が続いた時期があった。
 しかし、その後実名が危険であることが知られ、全ての人ではないがヴァーチャルな存在へと自らの存在を変化させていった。ただ、もう一つの自分を演じることが出来るという事には一定の需要があったように思う。そして、基本的にはそれが許容されている。もっとも、完全な別人格を長期間演じられる人は実際のところごくわずかであろうと思う。それは、偽りの自分を演じ続けるためには類い希なる努力と忍耐が必要となるのだ。

 だから、セカンドライフの復活について非常に難しいと思うことは、人々は本当にもう一人の自分を演じたいと思っているのかどうかと言う点ではないかと思う。演じる必要性のある人はいるだろうが、それは自由をエンジョイするためではなくその必要があるため(悪意を持ってする場合も同じ)が多いのだろう。
 実際自らの性別や年齢を偽っても、言葉の端々に真の自分の存在はにじみ出る。だからといって身元がばれるわけではないが、別人格を得る目的からすればその人格の真実性が揺らいでしまうことは決して望ましいことではない。

 フェイスブックやLINEにおいても、レスポンスが苦痛になっているという話はよく出てきている。実は、身元を明らかにした状態でも身内以外に関係性を広げるときには、より良い自分を演じている。返事をし続けるというのもその一環だとすれば、結局は演じることの苦痛がその使用をためらわせているのだと思う。
 ただ、オンラインゲームではその障壁がかなり低いのも事実であろう。ここでは、参加するときに一定の特徴やスキルが得られることで、自分が演じなければならない範囲が狭いこと、リアリティがないと誰もが認識していることもある。そして、ミッションという大きな課題が与えられているのが何よりも重要である。
 セカンドライフは、自由だからこその特徴を持っているが、そのこと自体が広がりを制約するきっかけとなっているのであろう。