Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

グローバル化と漫画家

 グローバル化を押しとどめることができるかと問われれば、私はおそらく「否」と答える。世界がより効率的であろうとする流れは、エントロピーが増大するが如く自然な動きであると考えるからだ。ただし、その方向が日本国民に幸せをもたらすかと聞かれれば、これに対しても否定的な意見となる。
 少なくとも、グローバル化は熱が高きから低きに移行するように、所得の高かった人たちの仕事を所得が低い地域に流すことを容易にする。もちろん言語の壁や絶対的なスキルの違いはあるだろうが、その障壁が小さなところからすでにグローバル化は大きく進んでいるし、今後も障壁を解消するような努力が世界中のあちこちで続けられるであろう。

 世界的な価格競争を旨とする業界では、人件費の抑制(そして製造コストの低下)は至上命令のようなものである。もちろん、オリジナリティを追求することで高付加価値の製品を作ることはできる。ただ、この場合の生産数量は大量生産品とはくらべものにもならないほど少ない。大量生産できないことによるコストアップは、場合によれば大きくコストパフォーマンスを引き下げてしまう。
 高付加価値産業の育成が叫ばれていても、それにより大企業が全面的に利益を確保できないのは、高付加価値であればあるほどに市場のニーズは小さいことによる。もちろん、先行者利益により一時的には利益を確保できるケースもあるだろう。ただ、ブランド価値を確立できなければ追随者により容易に地位を脅かされる。ブランド価値の中身には信頼性と言う一面も当然あるが、円高時代の日本電機メーカーの惨状を見ているとそれのみでは如何ともしがたいということが良くわかる。
 もちろん、アップルやその他の企業が成功しているのも知っている。ただ、アップルは成功してもその利益を甘受できるアメリカ人が非常に多い訳ではない。

 結果として、グローバル化が進展するほどにサラリーマンについても給与は下がっていくだろう。そして、この流れを押しとどめることは容易ではない。国策として国内経済のショックを緩和する施策を取ることもできるだろうが、今のところTPP推進のようにグローバル化で世界に進出して儲けるという方向性の方が強い。
 企業はグローバル化で今以上の利益を享受できるかもしれないが、社員がそれに浴することができるかどうかは実のところよくわからない。だから、グローバル化と同時に企業家の輩出についても推奨され続けることになる。ホリエモン村上ファンド等の問題もあり一時の新興企業ブームは消えてしまったものの、それでも起業を応援する動きが落ち込んでいるわけではない。
 さらに近年、3Dプリンターの登場により起業は新時代を迎えつつある。少し前の起業と言えば、インターネット系のネットサービス企業が中心であった。確かに、極論を言えばパソコンとネット環境と発想とスキルさえあれば誰でも起業が可能である。その上で、当たれば決して小さくない成功が待っている。この動きが、モノづくりの世界にまで広がり始めている。クリス・アンダーソンが「MAKERS」において製造業の新時代を提唱しているように、個人レベルで製造業を起業できるそれを世界に売り出せるのは確かに革命的だと言える。
 これまでの製造業は製造設備などを整備するだけの資金が必要だし、それを仮に借入金などで賄えてもこの時代は世界的な激しい価格競争に曝される。もちろん、一部のオンリーワンの職人的技術を保有する中小企業がロケットの部品などを納入しているという成功例も耳にするが、でもその企業が大儲けしているという訳でもない。

 ところが、3D-CADと3Dプリンタがあればアイデアさえあれば非常にローコストで製品開発が可能となる。これまで資本力のある大企業にしか与えられていなかった特権が解放されたと言っても良い。だからこうしたシステムを利用した商品開発は促進するだろうし、クラウドによる開発も進むだろうと思う。
 このことは非常に素晴らしいのだが、こうした参入障壁の低下は参入者の増加を促すが結果的には一部の成功者と多くの報われない者たちを生み出すのだと私は思う。わかりやすい事例を考えると、漫画家の世界が近いように思う。アイデアや能力次第で成功はつかめるが、それは一部の者たちでありまた恒常的なものではない。常に新しい発想で厳しい競争を勝ち抜いていくことが求められる。
 もちろん、ニッチを上手く見付けることで同人的に儲けることも可能だろう。だが、それすらがやはり一部の成功者を生み出すように思う。あるいは競合の少ない初期には多くの成功者を生み出すかもしれないが、時間とともに飽和していく。結果的に見ればこの世界もやはり楽ではない。
 チャンスは皆無ではないが、ただ誰もが成功する訳でもない。今の時代でもニッチを捉えることで成功する人は数多くいる。要するに、3Dプリンタが新たな可能性を生み出すのは事実であるが、だからと言ってえせ会の多くの人が幸せになるとは限らない。

 それでも、サラリーマンが座して給与が下がるのを待ち続けるよりは、自らの才覚で成功をつかみに行くことの方が生きている意味は感じられそうだ。実はこの状況を既に迎えている国がある。それは韓国だ。韓国は大企業のサラリーマンでも40代になれば一部の幹部候補を除き退職を余儀なくされる。
 もちろんそこから起業する人も少なからずいるのだが、それにより成功する人は極端に少ない。富を国民が分け合うためには、国家全体として大きく稼ぎそれを上手く分配する必要がある。その分配のための手段というか装置として企業があり、そして国家が存在する。しかし、韓国ではその手段たる企業が栄えることが国家の目的となっている(特に李明博時代)。

 給与が下がっても企業にしがみつくか、あるいは一念発起でチャレンジするか。実は、不況により多くの企業が倒産したような時期には同じ様な葛藤が数多く見られた。どちらの方が幸せなのかはなかなか難しい。