Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

バラ色の国際協調

 多国間における平和維持体制は、複数の国の間(多くの場合には二国間)における協調路線により成立することが多い。もちろんこうした協調関係はポジティブな場合もあればネガティブな場合もあるだろうが、それでも協調関係を崩さない方が有利であれば容易に紛争へと傾れ込むことはない。
 完全な従属関係でないとすれば、相互依存関係による貿易的な発展は紛争防止に間違いなく役立つ。小さないざこざはいつの時代にも存在するだろうが、本気で国家が争う必要はない。すなわち国際協調は参加国の個別がそれぞれ平和であれば放っておいても成立しやすいという土壌がある。この平和とは各国の国内的な安定が確保されているという状況でもある。別に各国の国内が平等で民主的かどうかはここでは別問題で、国内的に安定しているかどうかのみが主たる要因となる。
 例えば、アラブ諸国は未だに民主的ではないところも多いが、だからといってすべての国において不安定な状況が広がっているという訳ではない。中国も北朝鮮も、現状が両国国民にとって望ましいとは全く思わないが、それでも不安定化しているわけではない(北朝鮮の場合には少々怪しいが)。

 このことは、国際協調が平和を維持するというのではなく各国が安定している状況が国際協調を生み出すのではないかと考えさせられる。もちろん協調が遠因となり、個別国家の不安定化を防ぐことは当然考えられるが、アラブの春の状況を見る限り崩れ始めた状況を押しとどめるのは容易な道のりではない。
 要するに、国際協調とはお互いに依存し合うことで一カ国の足抜けを難しくするシステムではないかと感じている。例えば、国連も分担金を多く支払う側は相応の発言権を確保することがあり、お金を出せない側は情報を得たり援助や協力を受けるというメリットを有している。ただし、こうしたシステムは全体の枠組みを維持するインセンティブは持ちうるが、特定の国が急速に政情不安定化した時には効果的な対処を行いにくい。
 現実に、スーダンダルフールにおける虐殺でもシリアにおける内乱でも、国連は事態を収拾できている訳ではない。個々の国家が一定割合で安定しているという前提で、世界的な秩序を維持するための道具となっている。

 そもそも国際協調と呼ばれる様々な取り組みも、基本的には自国に有利になるような駆け引きが常に行われている。仮に経済的に損であってもイメージを向上させられるなど、様々な損得勘定の上で枠組みは決められる。力の強い国は有利に働きかけ、弱い国は我慢を強いられることもあるだろう。無論、我慢しても耐えられる範囲での話である。戦前、日本が追い込まれたのも国際協調による日本封じ込めだったのだから、協調が常にバラ色の未来を指し示すわけではない。いや、バラ色どころか大いなる不公平を招くことすらある。
 しかし、それに参加しないことも同様に自国に不利に働くことが少なくない。それぞれの国家は、参加したほうが有利であるか、参加しない(場合によれば脱退する)方が良いのか、交渉により自国に有利に働きかけられるのかなどを常に考え続けて交渉している。

 すなわち、国際協調は自国が不利にならないように働きかける場所であると共に、場合によってはライバルに足かせを嵌めるためにも用いられる。国際協調が成立したからと言って、それがバラ色の未来や公正な国際関係を保証するのではない。現状における利害調整の場として、あるいは少し未来への布石としてこれらは機能する。
 そして、こうした利害調整は主義や立場の近い国家間ではある程度素直に成立するが、それがかけ離れればあまり役には立たない。それは単純に協調するメリットがないだけのことである。北朝鮮が六か国協議に参加しないのもそこにメリットがないからであるし、カナダやアイスランドIWCから離脱したのも同じ理由である(アイスランドはその後復帰)。

 だからと言って、国際協調に意味がないと言いたいのではない。ただ、それに過度な期待を抱きすぎたり、国際協調万能のような言説が多いことに違和感を感じている。必要があれば協調すればよいし、日本に不利であれば反旗を翻すことも可能性としては考えられる。単純にそれだけのことではないか。
 当たり前の話ではあるが、国際協調は伝家の宝刀ではない単なる手段の一つなのである。