Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

いじめ異論

 大前提として断っておくが、私はいじめを推奨するつもりは全くない。ただ、いじめというものが人間社会から決して消え去ることがないとは考えるし、少なからぬ人たちが内心同じことを認めているであろうと想像する。いじめ根絶の不可能性を承知の上で、少しでもそれを低減したいと願い行動する人については崇高な理念に基づく行動であり賞賛に値すると思う。それは、いじめの低減に挑戦しているという果敢さだけではなく、勝算も不明なおそらく終わりのない行為にチャレンジしようとしている精神を尊いと感じるからである。
 現実にいじめにより理不尽に断たれる命が存在し、いじめが蔓延した社会が国家にとって決して良いものでないとすれば、社会の命題としていじめを抑え込む必要はある。仮に国家・社会の利得としてではなくとも、私たちが生きていくための倫理規範としていじめは殺人や傷害などの延長線上に存在する。結果として、いじめによる自殺が広がり社会がショックを受けているが、ネット上での加害者に対するバッシングもまた実質的にいじめと何も変わらない。

 いじめが容易に許容できないものであるという認識は持っているが、ではいじめは本当に根絶されるべきものなのだろうか。実のところ私はそうは思わない。繰り返しになるが、いじめを推奨しているのではない。ただ、それを根絶しようという行為は極論ではあるが種としての人間を否定することにつながりかねないと危惧しているのだ。いじめが少ないに越したことはないし、それは社会の安定と公平さを担保する。しかし、人間が人間たる根源的な衝動がいじめの根本的原因だとすれば、それが全くない社会は理想的かもしれないが現実的ではない。
 昔から、人々はこの衝動を如何に抑えるかに苦労し各種の規範を作り法律を作り、そして慣習により縛りをかけてきた。あるいは、別の方法により満足感を得るなどの代償や昇華を方法論として組み上げてきた。今、そのタガが現在外れたのかと問われれば、私はそんなことはないだろうと答える。少なくとも昭和・大正・明治、そしてそれ以前を考えても、現代日本ほど平和で問題の少ない時代はない。

 陰湿ないじめが根絶されたわけではないが、殺人事件も凶悪犯罪も統計データ上は過去から比較して十分に減少している(http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/515564/)。校内暴力という言葉はすっかりとナリを潜め(ただし学級崩壊という無秩序は広がっている)、表立った暴力が表面化することは減った。これは、経済的な成長を含めて人々が豊かになったこともあるだろうし、同時に教育や各種制度の効果が発揮されているという面もあるのだと思う。ただ、それでも人間の本性がそうやすやすと変わるわけもなく、また子供のころの理性が本能を律しきれない状況ではそれが露呈しやすいのもまた事実であろう。
 なお、殺人などの減少と反して恐喝や傷害、脅迫が平成15年以降に若干増えているのが気にかかる(http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/57/image/simage/h1-1-2-05_1.jpg)が、これらは経済的な低迷と関係しているようにも思える。あるいは現代は過去において問題とされなかったものが、どんどん犯罪事件として検挙されているという面もあるのかも知れないがそこまでは不明である。
 いじめとは、封じようとして封じ切れないところに発生する出来物のような存在にも映る。いじめ問題も世相を反映するのであれば、他の犯罪と同様に経済状況との関連で見ることが出来るだろう。

 また、別の観点に立てばいじめを病気と同じと考えることもできる。例えば、医療技術が進歩すればするほどに、根絶しがたい病気のみがクローズアップされてくる。かつては癌になる前に別の病気で死に至っていたものが、医療技術の発達でそこまで到達するようになった。結果として平均寿命は延びたが、社会は癌を克服するまでには至っていない。一部の医師などは、手術や抗がん剤投薬後の余命が実質的に伸びないことを理由として癌治療の有効性に疑問を投げかけているが、この状況はまさにいじめ問題と酷似してはいないだろうか。
 いじめも、様々な重大犯罪の減少によりクローズアップされている。癌が正常な細胞の異常化により発生するように、いじめも普通の子供たちがそれを行う。異常は増殖し、正常な子供たちもそれに巻き込まれていく。ただ、このことは人間そのもののシステムとしては異常ではない。どちらも、それが生まれるメカニズムが(本能あるいはシステムとして)組み込まれているのだと考えられなくはないだろうか。

 癌治療に現時点で十分有効な方法は見当たらない。早期治療が効果を表すのも、いじめとおそらく変わりはない。世相が荒れていじめが増加するのは、社会全体(身体や心)の元気が失われている状況とも照らし合わされる。
 結局のところ、劇的な治療法はなく社会の体力をつけていくことが唯一の対処療法なのかも知れない。だとすれば経済を繁栄させることが最も効果があり、その上で地道な道徳教育と本能的な攻撃衝動を昇華させる働きかけを教育現場で続けていくことが必要だと思う。
 今の日本社会に求められるものは、安寧な社会よりも基礎体力のある社会ではないだろうか。いじめ問題に端を発し、こんな事を考えてみた。