Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

グローバル化が引き起こす経済モノカルチャー

 グローバル化にはメリットとデメリットがあり、経済やものが世界中を幅広く自由に流通することは私達に多様なものや情報をもたらし生活を豊かにするが、同時にファーストフードが席巻するように固有の文化が消えてしまうと言うデメリットも持っている。
 前者は経済的なものであり後者は文化的なものであるから本来トレードオフは成立しないと言えなくはないかも知れないが、それでも心情的には両者は同じ文脈の中に存在しているように見える。世界金融の肥大化は、ネットの力も借りて瞬時に巨大な資金が移動することにより暴力的な力を得た。世界経済に揺らぎがない時代には、反対取引による健全で効率的な市場が生まれるのは事実であるが、逆に一旦不安が襲いかかれば(あるいは儲けのチャンスと皆が認めれば)同方向の荒波が発生するという訳である。
 新興市場、同時多発引き締め話でユーロ圏の二の舞化(http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/53bb6bcc26deda985d8b120a9ca2d63a

 例えば、テーパリング(http://finance.ytb.mobi/blog/2013/07/06/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%A8%E3%81%AF/)の開始により新興市場に対する不安感が徐々に高まり始めている。市場に撒かれた資金を回収し始めた訳ではなくほんの少し蛇口を絞っただけではあるが、その段階でも効果はてきめんである。
 これは世界中の資金が儲けに向かって一斉に駆けだし宴が終われば潮が引くが如く、バッタの大群の大移動のような状況にも見える。後に残るのは不毛の残骸のみというのは極端すぎる喩えではあるが、グローバル化による経済の単一化はシステムの冗長性を削ることで効率化を確保している。
 要するに、儲けが最も出るスタイルを金融工学等を利用して作り上げ、それ故にシステムの継続性(持続性)を犠牲にしている状況がある。

 例えば、少し前までの日本経済の不調(円高のみが原因ではないが)は日本のガラパゴス化が理由の一つとして挙げられていた。世界標準に近づくことが経済活性化の大きな指標とされた訳だ。確かに韓国などはその波に乗って一時期は日本を脅かすほどの成功を手に入れていたのも事実である。短期的な成功という意味では日本はまさに敗者であった。
 いや、民主党政権時代のスタイルを続けていたらもっと決定的な負けを経験していただろう。ただ、今の韓国経済の苦境を見れば短期的な成功を目指すスタイルは日本には合っていないと言うこともわかるのではないか。合理性を追求すれば短期的な最大の効率が得られるかも知れないが、それはある特定の条件に特化すると言うことでもあり、条件(環境)が変化すれば得たメリットと同じだけ(あるいはそれ以上)のデメリットを享受することになる。

 グローバル化というのは、一面では効率化により経済を活性化させる。あるいは世界を相手に商売をするという儲けのチャンスを提供してくれる。しかし、他方でそのシステムが崩れた時には大きなしっぺ返しが来るのだと思うのだ。
 歯車には常に遊びがなければ上手く機能しないと言うことはよく知られている。要するに適度な無駄を持っていることが重要であって、合理化(短期的な利益)を極限まで追求することは自らの寿命を縮めてしまう結果を招きやすい。もちろんGEのように常に姿を変えながらその時代に応じた最先端を走り続ける企業も存在する。
 だから、どんな場合でも無駄を配置すれば(あるいは継続性に主眼を置けば)よいと言う訳でもない。その時代にあった適度な変化や改革(合理化)は必須であろう。
 ただ、ものには何事であっても限度が存在する。私達は、限度を超えてしまうことの危険性をもっと感じなければならない。これは進歩や進化を否定している訳ではない。チャレンジは常に必要である。ただ、グローバル化は必ずしも万能ではなく、むしろ毒も多く持っているのだと言うことを知った上で接することが肝要であろう。