Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

グローバル企業の行く末

 私は以前よりグローバル企業の求めるものが、かなりの部分で国家の求めるものと食い違い始めていることについて取り上げてきた。国家の求めるものは国民の豊かさの追求であり、結果としての国家の反映である。戦争は正しい手段ではないものの、目的としては国家の繁栄を狙ったものであるのは間違いない。ただ、それに頼らなければならないときには多くの場合で繁栄とは逆の苦境にある場合が多い。特に、情報やモノの流通が世界的に行われるようになった近代以降は、その傾向が高まっていると思う。

 さえ、グローバル企業の問題点は最近タックスヘイブンを利用した租税回避により、国家との対立点が高まりつつある。タックスヘイブンの利用については、アメリカにおいてもアップルだけでなく多くの世界的企業が取りざたされている。同じ問題は欧米でもそうだし、韓国のサムスンでも囁かれている。まだ世界を騒がす大きな訴訟やペナルティ問題にはなっていないものの、租税を回避して自社(投資家)の利益のみを追求する姿勢は、グローバル企業を苦境に追い込むきっかけとなるのではないだろうか。
 もちろんグローバル企業(多国籍企業)は租税を納める場所を選択することが可能である。日本でも、法人税を安くすることで世界の企業を呼び込もうという声があるのは間違いない。もちろんそれを大きく推しているのは日本国内の企業である。国際競争力を少しでも確保するために、負担を最大限減らしたいという気持ちは企業の立場に立てばわからない訳ではない。TPPなどの貿易自由化を求める声も基本的には同一の欲求に基づいている。

 とは言え、グローバル企業が完全に国家との縁を切ってしまうことが可能かと言えばこれは難しい。企業には、業種にもよるが一般的な製造業においては生産地と消費地が必要である。どこで作り、どこで売るか。この両者ともに仮に世界中でまんべんなく行うとしても、企業にはその属性からは逃れることは容易ではない。例えばamazonが世界中で仕事をしていたとしても、本社を仮にタックスヘイブンケイマン諸島にでも移したとしても、amazonはおそらくアメリカの企業として認識され振る舞うであろう。
 それは、明確な国籍を持たない企業は国家というバックアップを失うことになるからである。国家の後ろ盾のない企業が世界でのシェアを維持し続けることは正直に言って容易ではない。不当な関税や制度を押し付けられることは容易に想像できるし、あるいは不平等な裁判に直面するかもしれない。
 確かに法律上はそのような差別はなされないことになっている。しかし、企業は実態がそうではないことを知っている。国家という力の後ろ盾なしに世界中での商売を円滑に進めることは、一時的にはできたとしても永続性を持たないであろう。
 これは、何も国家を交えたセールスを行うということではない。あくまで商売は企業の才覚により行うものであるが、企業活動の最低限のラインである平等性を担保させるのが国家という後ろ盾なのだ。企業としては中小の国家を超える大きな規模を誇る大きなものもあろう。しかし、中には傭兵などを使い軍事力さえも有するとこともあろうだろう。ただ、それでも企業は国家と一対一で戦うことはできない。祖国(あるいは庇護してくれる国)の後ろ盾なしには国家とは戦えない。そもそも、条約は国家と国家が結んだ約束である。国家の籍を離れた企業がそれに縛られるとは限らないが、逆に国家もその企業に対する場合に縛られるとは限らない(もちろん状況次第であるが)。

 今は、グローバル企業が国家を超えた活動をいろいろと始めている。その要因としては莫大な金融緩和により溢れたマネーを企業が有していることがある。お金があれば多くのことは可能である。場合によればそれにより一部の国家を動かすことすら十分可能だろう。しかし、その状況に永続性はない。あくまで一時的にそれが可能であったとしても、いつかはそれが変化する。
 貿易のグローバル化という錦の旗のもとに、企業は世界を目指し場合によれば国家を軽んじるような振る舞いすら行い始めた(上記の租税回避などはそれに当たるであろう)。企業の成長が国家の繁栄につながる範囲において国家は企業を応援する。仮にそれが多少歪んだ形であったとしても、国家の目的と合致している限りにおいて国家は国家に属する企業をサポートする。
 しかし、この蜜月は企業の究極の目的とは必ずしも合致するとは限らない。仮に企業が国家を振り返らなくなれば、おそらくその時には企業は国家の後ろ盾を失い始める。もちろん、ロビーや様々な手法により関係性をつなぎとめようとするだろう。ただ、国家が信用するかどうかは最終的に国民の多くが支持するかどうかにかかる。その期待や希望を企業が受け止められるのか。それこそが、グローバル企業の行く末を決めるのであろうと思う。
 あるいは思い切って飛び出す企業が出るかもしれない。ただ、その時にはおそらく別の宿主を探さなければならなくなる。そして、国家は企業が国家を超えるスーパーパワーを保有することをおそらく旨とはしない。共存共栄が可能である範囲において自由が許されているにすぎない。

 今は過渡期かもしれないが、今後も国家と企業の利益相反は多くの場面で社会問題となっていくであろう。