Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

見えないガラス

 少々旧聞になってしまうのだが、日本電気硝子が「見えないガラス(http://www.neg.co.jp/JP/technology/focus3.html)」というものを昨年末に開発・発表している。もともとガラスは見えないものではないかという話はさておいて、この見えないガラスとはガラス表面における反射を複層の薄膜を用いることで極限まで低減したもののようだ。要するに映り込みのないガラスだから、その存在を認知し難いという仕組みである。

 用途としては、美術品(特に絵画)などを保護しながら観覧者には存在を感じさせないという場合や、宝石などの輝度の高いものの展示ケースに用いることで強い光を当てて商品を輝かせながらも、ケース自体の反射を防ぐといったことに既に利用されている。
 もっともビルの外装などに用いられた場合には、ガラスの存在感を消すことができるであろうが同時に認知できないということによる危険性も増大する。そこにガラスが存在するかしないかがわからないというリスクである。子供の衝突を始め、バードストライク(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AF)なども今まで以上に多発するであろう。子供(もちろん大人でもだ)の衝突に関しては現在でも衝突防止マークというものが用いられているが、映り込みが極限まで減らされることがその必要性を大きく向上させるだろう。
 もっとも、使い方さえ間違わなければ問題があるわけではない。逆に、トリックアートなどに多用されることにもなると思うし、又はレンズなどの高い透過性を必要とする部品としても活用されるであろう。

 さて、見えない存在と言えば透明人間などが思い出されるかもしれないが、不可視の願望はそもそも人間のどのような欲求が生み出しているのであろうか。もちろん自分自身を不可視にしようという話ではなく、物質に求める不可視性の問題のことを議論の対象にしている。この不可視性は透過性とほぼ同様の結果を意味しているが、言葉が指向する意味において両者には違いがある。透過性はどれだけ光が透過するかを想定したものであり、範疇として完全に透過するものも含まれるが焦点は完全なる透過にはない。どれだけ光を透過できるかという技術の進歩を睨んだ過程を示す言葉である。
 一方の不可視性とはその技術の行き着く先を示している。現実には完全なる不可視性は獲得し得なくともほぼそれと同等の機能を求めるところから来ている。すなわち、透過性はあくまで光の透過のレベルを指標として示す言葉であり、不可視性は見えないことがその大前提にある訳だ。
 不可視であるものは現実には空気などの気体でしか私達は認識し得ないし、また気体そのものを感覚にて明確に認識できる訳でもない。感覚に人類の叡智たる知識を加えてその不可視性を認識出きると言うに過ぎない。
 すなわち、不可視性を有する固体は人類の到達し得ない夢の一つなのだろうと思う。もちろん、ガラスにより部分的にはその夢は実現したと言っても良い。ガラスの製造方法の進化はこの夢を実現するという衝動により加速した。

 しかし、今その不可視性に限り無く近づくところまで技術は至った。もちろん様々な条件はあるだろうが、人類の保有する漠然とした夢を実現に近づけたのだ。ところが、まだ今は夢を現実にしたコトによるその技術の本当の使い道は見出していないように感じる。
 使用目的を明確に持たないが純粋な夢を手に入れた時、私達人類はそれにどのような活用の道筋を付けるのであろうか。見えないものではあるが、期待を持って見ていきたいと思う。