Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

田んぼアートがすごい

 痛いニュース(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1767541.html)より。いや、正直びっくりした。しかも、着色剤や化学薬品など一切使用していないというのだから本格的だ。冗談抜きで、観光の目玉として使えるレベルだと思う。ただ、惜しむらくは見頃がそれほど長くはないだろうが、それでも観光の目玉としてや地域発信の役割は果たしている。観賞期間がどの程度なのかは知りたいところでもある。

 各種画像はこちらで→http://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B0%E3%82%93%E3%81%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=awveUa30GY7DkwXJk4DoBw&ved=0CC8QsAQ&biw=1011&bih=905

 絵柄のクオリティの高さもさることながら、一部には遠近法も十分考慮して作成されているという念の入りようである。wikiによれば田んぼアート(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E3%82%93%E3%81%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88)の発祥の地は青森県南津軽郡田舎館村とされている。村おこしとして始まったのが1993年とされているので、すでに始められて20年が経過している。
 田んぼアート自体は他の地域でも追随されており、すでに全国のいくつかの地域で実施されているが、先行者としての誇りであろうか田舎館村のものがやはりレベルが高い。

 そもそも、実際の生活の一部をアートで彩る試み自体は様々な場所で見られるものである。例えば、ビルの照明を利用して絵を描くなどということも比較的いろいろな場所で行われている。しかし、田んぼアートが面白いのはそれがアートとは無縁だと考えられている場所で用いられているからであろう。だとすれば、同じような試みはいろいろな場所でできるかもしれない。例えば、大規模な河川の河川敷で石ころを使っての石ころアートや、山などで枯れ枝などを大規模に利用した山アートなどもできるだろう。そういえば、京都の五山の送り火自体が伝統行事でもありアートでもある。
 このアートが良いと思うのは、それが恒久的な存在ではないことである。恒久的な芸術作品(例えば石や金属による具象・抽象の彫刻等)は街にあふれている。しかし、よほどの作家のものでなければ時間経過とともに振り返られることもない路傍の石と化してしまう。風景に溶け込むというのは必ずしも悪いことではないが、それが成功していると思える場所もあればそうではないと感じられる場所も少なくはない。だからと言って、公共事業の一環として設置されたそれは容易に撤去できないし、いざ処分しようと決めても方法やその先にも困ってしまう。こうしたアートが少なかった時代には増やす試みに一定の価値があったが、飽和した先には何が待ち構えているのだろうか。
 何百年経ることでこれらパブリックアートが大きな意味を持つことになるかもしれないから、存在が無意味だと言い切れるわけではないが、単純に作ればよい・置けばよいというものではないのも間違いないだろう。

 期間限定のアートは、処分に困るということはない。また、地域のオリジナリティを発揮できたならば、一定の情報発信を可能にし地域の連帯を深めることにも役立つかもしれない(もちろん、トラブルがあったことも留意が必要だが)。
 クールジャパンが叫ばれているが、政府主導で日本の何かをごり押しするというパターンよりは、こうした様々な地域におけるオリジナルの取り組みを発信していく方が重要ではないだろうか。特に、テレビではないがどこかが始めたことはすぐに別の地域に真似られる。
 だからこそ、日本政府がそのオリジナリティを認定して、それを公式に世界に発信する。それにより、地域間の特色が高まり新しいものを創り出す動きが加速する。その方が面白いように思うのだがどうだろうか。