Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

演歌の復権?

 最近NHKだけでなく民放でも演歌が歌われる番組が増えてきている気がするのだが、私の気のせいなのだろうか。いや、確かに増えているようではある。そもそも、演歌にのみならず一時期隆盛を誇った歌番組全体がTVから減少していたが、ここにきて増加してきているようである。
 これは、下手な特番を作るよりも製作費が安く一定の視聴率を稼げるという面があるのかもしれないが、歌をテーマに24時間テレビにみられるような長時間の特番を作っているケースも少なくない。

 さて、演歌(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E6%AD%8C)はかつて日本の心として定着していたが、徐々に衰退していき20年ほど前よりそのシェアを大幅に減らしたように思っている。実際、いくつかのレコード会社(ポニーキャニオンなど)は演歌というジャンルから撤退したりもしているし、演歌の復権自体がテーマとなる議論もあったりすることから間違いないであろう。2006年段階でシングル売り上げの中で演歌が占める割合は6%ということだ(http://www.oricon.co.jp/news/special/42486/)が、売り上げの低下傾向は他のジャンルの歌と比べても著しい。そもそもCDセールスそのものの市場が大きく減少しダウンロード型の市場が拡大していることを考えると、演歌を聞く層がPOPSを聞く層と比較して比較的高齢であることから、CDセールスの減少をダウンロードが十分カバーしているとも考えにくい。
 演歌歌手の場合も地方巡業で一定の仕事場は確保できるかもしれないが、この場合も十分な収益につながるものではなく内情はかなり厳しいものと想像する。コンサートにより一定規模の観客を集められるのはほんと一握りではないか。

 そもそも演歌の衰退はなぜ生じたのか。これに関しては様々な分析があるだろうから詳細はそちらに譲りたいと思うが、大きくはスタイルが確立され固定され過ぎたことで社会の変化についていけなかったのではないかと思っている。もちろん、だからと言って演歌を支持する人がいなくなったわけではなく、あくまで釈迦におけるシェアが減少しただけのことである。
 演歌にも様々なジャンルがあるため、ひとまとめにして評価するのは誤解を招くと十分承知しているが、敢えて乱暴に言わせてもらえば世の中の不条理が減少したことによりその必要性が低下したのではないかと思う。あるいは、不条理を訴えかける方向性の変化なのかもしれない。

 例えば、同じ音楽でもロック音楽でも世の中の不条理を訴えかけるものは少なくない。それどころか一般的な歌謡曲でも似た傾向がある。ただ、演歌のそれは社会の不条理を感情に任せてぶちまけるものではなく、あるいは軽いニュアンスで誤魔化したり昇華しようとするものでもなく、むしろ不条理に翻弄されつつもそれを運命として捉え心の中に持ち続ける感じがしている。あくまで私の個人的感想だし、演歌の中にもいろいろな系統の曲があるので限られる話ではないことは繰り返し書いておく。
 演歌の衰退は、社会が捉える不条理の質の変化が反映してきたものではないだろうか。それは、社会として成熟してきたことで不条理が個人に与える影響が減じたことがあるのかもしれない。考え方からすれば、それは個人の自由と権利が広がった結果とも言え喜ぶべきものだと思う。
 もっとも、人の感覚は絶対的な指標よりも相対的なそれにより支配されている。だから、私たちは今享受している自由や権利をついつい当然のように受け取ってしまいがちだ。現状を土台として更に良くなる形を模索するのは当然のことではあるが、現状の土台がどのように築かれ維持することの難しさも忘れてはならない。

 演歌の復権が、単純な番組構成上(あるいはテレビ局の営業上)の一過性の出来事であれば、言い方は悪いがあえて取り上げるようなことではない。一つのイベントとしてその変化を認識し、場合によれば楽しめばよいと思う。しかし、それが日本国民の心理的変化に伴うものだとすれば、その変化が生じようとしている理由を考えてみることは重要ではないかと思う。
 もっともその場合には、テレビ局の番組増加にとどまらずダウンロードなどの増加がじわじわと広がっていくことになると思う。テレビ番組は、ある意味で世の中の動きに敏感であることから、これがイベントなのかきっかけなのか今後の動向を見ていきたいと思う。