Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

政府主導の成長戦略

 昔から、国が主導する成長戦略が上手く行った試しはないとの言葉は各所で見かけることができる。まさしくそのとおりだと私も思う。ただし民間投資意欲が萎縮している状況下では、国内にアピールするという目的故に国が音頭を取って推進をしなければならないのも仕方はない。そもそも国が主導する成長戦略が上手く行かない理由は明白である。一つにはリアルな競争相手がいないことがある。民間には常に競争相手が存在し、ライバル企業とは生き馬の目を射抜くような競争を繰り広げている。特に、国内よりも国外においてその競争は激しいが、産業分野によれば国内でもやはり激しい競争が繰り広げられている。
 一方で、国の場合総体として競争する国家は確かに存在するが、個々の分野での競争相手は国内には存在しようもない。しかし、今求めているのは国家としての他国との競争というよりは、むしろ企業単位の国内外における競争力の拡大である。
 単純に考えて、社会の荒波に揉まれ生き残ったもののみが成長の可能性を保有する。温室で育てられたものは、希少性や独自性は保有するかもしれないが、雑草のようなしぶとさや成長力を持ちえない。成長戦略とは、新規産業の創出も含めて健全な市場を日本国内に作り上げるということでもある。国内向けには新しく多くの人を雇うことができる産業の創出が、国外向けには他国の追随を容易に許さない新しい技術やシステムの開発と普及である。最初は国内的に始まるかもしれないが、こうした蓄積が世界に影響を及ぼすようになることが望まれるわけである。もちろん、あくまで民間が自力で競争力を確保することが必須である。

 しかしながら、成長産業として声がかかるものの多くはイメージ先行型なのだ。例えば、介護産業であったり環境産業であったり。両者とも現時点ではとても成長産業になるような十分に自立した状況には至っていない。なぜならそこで働く人達の給与は低く抑えられ、あるいは多くの補助金により維持されているからである。新規産業などにより社会の成長を求めるのであれば、それに携わる人たちは苦労は大きいかもしれないがそれなりの利益が得られるものでなければならない。加えて、産業としての受け皿が大きいことも求められる。そして、これらの条件は政府の支援なしの自律的なものとならなければならないのだ。理想としての意義は私も認める。こうした産業が生き生きと成長できる社会は素晴らしいかもしれない。ただ、理想と現実は常に異なる。こうありたいと願う産業はやはり成長産業にはなりがたい。
 そもそも成長産業は誰かが当初から意図して生み出されるものではないのである。もちろん、携わる人間はそれを信じているだろうが、だからと言ってこれがいいと当初の理想を追求し続けたのではなく、社会との対話の中で苦しみながら広がっていくのだ。こうしたことは、マイクロソフトもグーグルも同じであろう。

 これまででも、新規産業の創出は国家や地方の課題として常に取り組まれてきた。何もこの問題は新しいものではない。おそらく、年寄りが「今の若い者は。。。」というのに等しい存在である。これまでも民間ではなく政府が音頭を取って進めるものに関して言えば、多くのケースで実績を確保するために特定の甘い査定がまかり通り、あるいは稼働率が想定に届かない公共インフラがいくつも造られてきたことは記憶に新しい。もちろん新技術の研究開発という面では国の支援は有望であるが、これも研究者がぬるま湯の状況にどっぷりとつかりきっていないという前提が重要である。
 国や自治体が主導した場合には、その産業が自律的に発展していくことが目的でなければならないにも関わらず、気付けば振興を図ること自体が目的と化してしまうケースが大部分である。これは、国などの旗振り役となる担当者が配置換えなどによりコロコロと変わることも一因であろう。
 全体計画を考えた上で成長戦略を俯瞰できればよいが、引継ぎによりその微妙な感覚が失われてしまえば、仮に形式上の事実関係はいくら知っていたとしても勘所をつかむことは容易ではない。その結果として、失敗しないように形ばかりの補助が続けられ、あるいはある時にばっさりと援助が断ち切られる。

 成長する分野は、消費者(産業界も含む)に支持されるものでもある。むしろ熱狂的に受け入れられるようなものであってこそ、自律的に成長していくことができる。どんなに理念的に素晴らしいものであっても、自律的に成長できなければ結局は補助金などの援助により支えられる存在であって、成長には寄与できない。
 強いてあげるならば、かつての高度成長時代なら政府主導でもある程度は上手くいったかもしれない。もちろんいくら政府が旗を振れども、成長の実態は民間経済にあるのだから政府と民間が一体とならなければこれもおぼつくまい。

 また、成長分野とは言えど当初からガンガンと稼げる分野などまずはない。それはすでに地上に湧き出ている温泉や原油の噴出孔を探すようなものであって、容易な分野はとっくの昔に発見され利用されている。私たちが新たな成長分野として探していかなければならないものは、山師のように見えないところに存在する鉱脈を見つけなければならないのである。
 企業でも様々な新規投資・研究が行われるが、そのうちで大きな収益に結び付くがそうそう容易に生まれるものではない。企業の研究投資でもそうかもしれないが、新規事業などに対しては数多くの候補を用意して、一つがだめなら別のものに変えていく使い捨て方式、と一つの分野に拘り改良に改良を重ねていく拘り方式の二つがある。
 既存技術やサービスの改良などによる新規性を出す場合には前者の方が有利であり、全く新しいものを追い求めようとするならば後者の方が可能性を感じる。さて、政府が追い求めるべきものはどちらなのだろうか。

 どちらにしても、国が目指すべき成長戦略は細目を競うのではなく、大きな目的を打ち立ててそこに向けての継続的な投資と基盤となる教育に力を入れることが遠回りでも最も重要なことではないかと思う。