Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

憲法96条

 憲法改正論議のスタートポイントとなった感じのある96条(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC96%E6%9D%A1)問題であるが、先日の長嶋氏松井氏に対する国民栄誉賞セレモニーで、安倍総理が96代総理大臣の意味による背番号96を背負ったことが96条改正への趣意を含んでいると報じられたのは記憶に新しい。むろん含む意味が本当にあったのかどうかはわからないが、96条問題は当然の如く憲法改正の本丸ではない。しかし、そのクリア無くしてその先の目標達成もないのだから重要視されるのは当然だろう。憲法改正是非に関わる意見の交差点がまずここに来る。

 さて、現時点において96条の改正を進めようという意見は必ずしも国民に浸透しているわけではない。現実に憲法改正が必要と考えている人でも、96条の改正要件を両議院の2/3から1/2に緩和する要件について賛成していないケースも少なくない。一方で、反対する側の中には当然憲法改正そのものに反対という人たちもおり、一種の憲法原理主義とでもいえるような宗教的なにおいが感じられる。
 私自身の意見としては、原則的には2/3を変える必要はないのではないかと思っているが、憲法の項目に応じて改正要件に違いを設けるというのも一つの手ではないかと思う。これは、すでに民主党の長島議員が提案したものでもある(http://www.asahi.com/politics/update/0428/TKY201304280133.html)が、各党間の落としどころとしてすでに検討されているのではないだろうか。
 東京新聞憲法96条改正論 ハードル下げる危うさ:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013051002000151.html)にもあるように、特定の政党が思うがままに憲法を操作しかねないという想定は、現状では考えにくいものの将来に向けては考えておく必要がある。むろん、私が考えている事態は東京新聞が考えているのとはおそらく反対方向ではあろうが、ここではそれを論じるつもりはない。

 世界的な傾向は、東京新聞の記事にもあるように2/3が主流である。だとすれば、似た条件にも関わらず日本のみが憲法改正を実現できずにいるのは何故なのだろうかという素直な疑問が湧き起こる。ドイツもアメリカも基本的には2/3以上の賛成が必要なのだ。しかし、両者ともに二けた回数の改正を実現していることを知る人は多くない(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E6%94%B9%E6%AD%A3)。
 日本のみが同じ条件であっても憲法改正が実現しなかった理由はいろいろと議論されているようだが、私は日本の中選挙区制が関係していたのではないかと感じている。世界的には二大政党制が多いことから、この両者が妥協できる内容については憲法改正が実現しやすい。しかし、多数派政党により議会が構成されるようになればなるほどに改正が困難となっていく。日本の場合、第一政党と第二政党の議会に占める割合が衆参両院において2/3を超えることがなかったことによるのではないか(戦後の政党・院内会派の推移:http://home.a07.itscom.net/kazoo/seizi/seitou.htm)。このあたりについては研究結果があるかもしれないが見つけることができなかった。
 キャスティングボートを握る政党が増えれば増えるほどに、思惑が絡み合い議論はまとまらないものである。マスコミによる世論誘導もあったにしろ、党派の乱立が憲法改正を難しくしている考えられなくはない。ドイツなどでも軍再配備にかかる憲法改正はかなり早い時期に行われており、近年の改正は社会概念の変化に応じた統治機構の在り方に関するものに限られる。

 社会が成熟するほどに政党数は多数化していく。むしろ近年行われた日本の二大政党制を目指した動きは、決めるための制度変更ではあったが社会のニーズを汲み上げるためのものとして十分ではなかったのかもしれない。日本の現状を理解し小選挙区を変更すること(中選挙区への部分的な移行)を考えれば、2/3という条件が実質的に他国と同様とは言い切れないという考え方も存在するであろう。
 しかし、敢えてそれでも私は憲法の根幹部分については2/3という条件に拘りたい。法律による制度変更は政治状況の変化があれば当然ありうる。現在の比較的安定した状況だからこそバランスの取れた判断を国民もできているが、大きな出来事(例えば戦争などに巻き込まれた場合)に現状と同じになるとは限らない。憲法においては、その可能性を踏まえていく必要がある。
 しかしながら、戦後において現在ほど憲法改正の機運が高まってきたのも初めてであろう。自主憲法制定というお題目も尊重してよいだろう、それよりも何よりもこれからの未来に日本という国が豊かに存続できるために必要な改正は当然行うべきだと思う。私は、原理主義的な護憲運動には否定的である。それは、思考停止と何も変わらないからだ。その上で憲法を改正しないという判断がなされれば、これも国民の判断だと受け入れるべきだと思う。