Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

市民団体の次の言葉

 まだ大手新聞などは国民の代表のように「市民団体」という言葉を用いたり、NPOをあたかもボランティアのように賞賛する状況が続いているが、ネットによる情報の進展や拡散によりその中に国民の常識とは乖離した守銭奴や左翼的な思想家が多く紛れてていることを知ってしまった。
 もちろん、だからと言って大部分の善良な活動に意味がないというつもりはないのだが、その信用性はかなり低下傾向にある。隠れ蓑としての団体に多くの税金や寄付金が流されていることは、少し調べればいくらでも出てくる。こうした情報の全てが正しい訳ではないだろうが、所詮は左派の活動家の言うことも自らの利益になることしか言っていないのだから、あまり真面目に捉えても仕方がない。考えても見れば、労働団体の幹部が高級マンションに住み豪華な生活を送っているとすれば、元々の精神がいつの間にか変質していたとしてもおかしくはない。大きな労働団体になれば、幹部は大企業役員並みの宝珠を受け取っている例もあるようだ(http://www.xhotzone.net/vh/y11/vh11050303.php)。

 テレビなどに出てくる多くのNPOなどの代表を務める人たちも、口では正論を言っているもののいくつもの団体の代表を掛け持ちしていたり、それを通じて多くの資金(補助金等)を受けたりしているのを見れば、果たしてそのうちのどれだけがきちんと使われているのかについて疑問を感じざるを得ない(痛いニュースhttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1754116.html)。
 繰り返しになるが、多くの社会のケースと同様に悪さを働くものは全体の内の僅かであるだろう。しかし、そのレベルが酷ければ酷いほどに社会的な問題は広がり、その業界全体の評判が地に落ちる事となる。そして、これから先も同じような状況が続くのであれば、「市民団体」=左翼のダミー組織や圧力団体、「NPO」=補助金目当ての資金着服組織、などといった本来想定しているのとは全く異なった認識が広まっていくことになるのではないだろうか。

 さて、今はまだ新聞などの大手メディアが用いる「市民団体」という言葉の信用はそこまで失墜していない。しかし、徐々にではあるが清廉潔白であるという認識をは薄れてきている。あくまで個人的な感想ではあるが、信頼失墜までの期間はそれほど残されてはないように感じている。だとすれば、資金獲得が必要な一部の人たちからすれば新しく疑われにくい名称が必要となっていく。
 当面は、言葉としての劣化が「市民団体」の方が激しそうなので「NPO」に活動の拠点を移していくか、あるいは組織的な違いがある訳ではないので「NGO」を名乗るものが増えるのではないかと思う。しかし、そちらの賞味期限もどれだけあるのかは現状囁かれている不祥事問題の広がり方によっては一気に縮まる可能性もあるだろう。
 その時に考えられるのは、公的機関の関連団体を実質的に乗っ取るようなケースではないかと思う。今でも、人権団体など建前上は真っ当だが内情が恣意的ではないかと勘ぐられるものも少なくない。場合によっては有名企業子会社などでも似たようなものが出るかも知れない。
 彼らのやっていることは、建前上の正義を拡大解釈することで自らの地位と利得を向上させることなので、それも生き方の一つだとは思うのだがスケールは小さいものである。逆に言えば、日本社会が安定しているからこそ彼らが巣くう余地があるとも言えなくはない。そして日本経済の疲弊が叫ばれるからこそここに来てあぶり出されているのだとも言えるのだ。