Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

もはや何が何だかわからない

毎日新聞社説:2013年を展望する 強い経済は構造改革で(http://mainichi.jp/opinion/news/20130104k0000m070095000c.html
朝日新聞毎日新聞の電波浴にはかなり慣れたつもりでいたのだが、さすがにこのレベルのことを書かれると脱力というか、その必死さが哀れにすら見えてスルーできなかった。書いている文章は長いが簡単に言えば、「今の状態を変えるな」という一言に要約される。その台詞は一般的に誰が言うものであろうか。分かりきった話ではあるが、これまで新聞がさんざん叩いてきた既得権益者が言う台詞なのである。あるいは、財産を抱えて年老いていく高齢者が言うのならよくわかる。
どちらにしても、毎日新聞は現状が自分たちに心地良いから変えるなと言っているように見える。しかし、毎日新聞の経営状況を見るならばそんなことを言っていられるような甘い状態では無かろうに。
彼らは緩やかな衰退を目指せと言っているのだが、それはこの言葉に集約される。「最小不幸社会」、そう菅元総理が提唱した言葉である。私はすでにエントリでこの言葉のおかしさを幾度か書いてきたが、全く同じ事を毎日新聞は訴えているわけだ。
現状は苦しいけれど、皆で苦しみを分け合い耐えて心だけは豊かでいましょう、、、、と。

確かに、安倍総理が進めようとしている政策にはリスクがある。それは私も認めるし、金利の上昇や物価の上昇も引き起こすであろう。ただ、失われた20年において世界の国々のGDPが倍以上にも成長しているにも関わらず、日本は変動しなかった。アジア金融危機では東南アジア諸国などはGDPが1〜3割落ち込むほどのショックを受けたが、日本経済はそれでも動じなかった。リーマンショック東日本大震災という悲劇的な事件を受けても数字の上では安定している。
しかし、その数字上ではない部分で国民は貧しくなっていると感じており、それを変えて欲しいからこそ衆議院選挙で唯一と言って良いほどに経済政策を主張した安倍総理に期待を抱いた。そもそも民主党などはまともな経済政策を何も履行していないし、選挙ですら訴えかけなかった。
いや、現状の停滞は政権交代前の自民党時代からの遺産でもある。当時の自民党が散々大きなショックを引き起こすことから逃げてパッチワークを続けてきた結果が今の状態を引き起こしたと叩いていたのは党の新聞ではないのだろうか。
私は、近代国家で初めての巨大なバブル崩壊を経験した後の経済運営としては、当時の政府は100点とは言えないができることをやってきたと思っている。政府債務が増加したのは、国民が急激な経済縮小により大きな不幸を抱え込まないための窮余の策であったと私は思う。
上述の通り、バブル崩壊やアジア金融危機で日本がGDPを落とすことがなかったのは、政府が債務を積み上げる形で民間経済の縮小を支えてきたからである。もちろん、そんなことをいつまでも続けられないのも事実である。だからこそ民間経済を活性化させる策を次々と繰り出してきたのがいままでの政権であった(民主党時代は除く)。
ただ、財政健全化派の力も強く(というかマスコミの論調が厳しく)十分な大きなそれを繰り出せなかったことと、バブルの爪痕が予想以上に大きくて民間経済に容易に火がつかなかったことがあった。それを経済政策の失敗と断じるのは簡単だが、マスコミが言う失敗は本当にそうなのかは私は常々疑問に思ってきた。

問題は、政府がこれまで行ってきた緩やかな政策ではもはや効かなくなっているほどに、民間経済の不活性状態が進んでいるのではないかと思うのだ。民主党政権下では強い円は国益と一方的な円高を放置し続けた。為替は相対的なものであって、輸出の技術競争力が圧倒的ならば強い円は望むべきだが、それが消えつつある今為替は強すぎても弱すぎてもいけないのである。ほどよいバランスを図ることが何より重要となる。その微妙な操作を行うことは日銀のみではもちろん出来るはずもない。
必要なのは政府の意思なのだ。
そして、現状において安倍政権が示しているのはまず意思である。経済を良くする。外交においても必要な主張はきちんとする。そういう意思を示しているに過ぎない。その意思を拡大解釈して極論をぶち上げてどんな意味があるというのか。
マスコミが行うべきは、現状の正確な分析と政権が提示する政策の問題点を論理的な方法で説明することであろう。それならば、政策に対する議論は深まる。ところが今回の主張は「これまでの状況が実は良かった」と土台を根底から覆す主張を始めたのだ。
今の状況が不味いと考えるから何かの手を打とうと政策論議をするのである。そして、これまで誰よりも現状が問題だと主張してきたのは新聞社をはじめとするマスコミではないか。そこで、この掌返しを行うのだから脱力して唖然となっても仕方あるまい。その上で、これまでの批判が「批判のための批判」であったと言うことを自ら証明したようなものでもある。

逆に言えば、私は毎日新聞がいったいどんな社会を目指しているのか、曖昧なものではなく具体的に手段を含めて提示して欲しいと思うのだ。それでも、少なくとも彼らが言うような緩やかに衰退していこうとする主張に同意する人は多くないと思う。