Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

老人とマスコミ

自民党の総裁に安倍元総理が復帰した。個人的には麻生総理を待望していたのでベストは思わないが、それでも石原前幹事長が総裁になるよりは随分マシだと思っているし、石破前政調会長(新幹事長予定)についても経済政策に大きな疑念を持っていたのでもう少し勉強を積んで欲しいと思う。
そもそも、与党の代表選挙が碌にニュースにすらならず、一方の最大野党の総裁選挙が大々的に報道されている時点で現状の政府の価値など地に落ちていると言っても良い訳ではあるが、そんなことを言っても総選挙は総理の専任事項であって期待はすれど願望に過ぎない。
総裁選の行われる以前からマスコミによる石破前政調会長推しが酷くて、よほど安倍氏を勝たせたくないのだなとは感じていたが、ご多分に漏れず今後はマスコミを上げてのバッシングが続くであろう。一つには中国や韓国の懸念(すなわち外交姿勢)を前面に押し出したもの、そしてもう一つは以前病気で職務を投げ出したことを責める物である。もう一つは古い自民党体質に戻ると言った脅しのパターンもある。もっとも、これらは前から予想されていたことであり、安倍総裁はそれを理解した上での出馬であろう事は想像に難くない。
実際、ネット上での予想通りの反応が早速出ているようである。
朝日新聞社説(http://www.asahi.com/paper/editorial.html
毎日新聞社説(http://mainichi.jp/opinion/news/20120927k0000m070154000c.html
産経新聞記事(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120927-00000515-san-pol
加えて、早速3500円のカツカレーを食べたことが庶民感覚から離れているという放送をしたTVもあったようだ。全く馬鹿げたことだと思う。ホテルのバーに行っていたことをさんざん叩かれた麻生総理のケースもあったが、その後の鳩山・菅時代の方がよっぽど庶民感覚からはほど遠かったのだから、偏向報道も極まるというものである。
もっともその内容については既に多くの人が知っており、今更のバッシングに怒りよりも蔑みとか笑いすら感じているというのが状況を知る人たちの反応であろう。

まあ、これからもっと盛大になるだろうし現時点での細かいことを拾い上げてもあまり意味もない。今後の動向を注視したいと思う。ただ、安倍総裁の選出を中国や韓国が騒ぐとすれば、それは自業自得としか言いようがないと私は思う。なぜなら、竹島問題や尖閣問題の騒動がなければ今回安倍氏の立候補があったかどうかもわからないし、仮に出馬したとしても総裁選での選出は難しかったのではないかと思うのだ。だとすれば、安倍総裁の生みの親は韓国や中国政府の工作ということにすらなりかねない。
このことを彼らがどう考えているかについては正直かなり興味をそそられる。

さて、話を戻して安倍総裁の再任については現在マスコミはかなり否定的な立場を取るところが多いように感じる。もちろん最低限の分別は有しているようで自分たちの露骨な言葉で非難するのではなく、他者の言葉を借りたり過去の問題をほじくり返したりしているようである。それを分別があるというのが適当かと聞かれるかもしれないが、単に皮肉に過ぎないので流して欲しい。
マスコミが多くの場合弱者保護の仮面をかぶって権力を批判するために、日本は再チャレンジが難しい国である事を記事や論説などを通じて嘆いている。仮にその論理に基づくならば、安倍総裁の再チャレンジこそ栄光を取り戻そうとあがく日本の姿に重ねる事も出来そうだが、どうもそうはならないようだ。私の感覚で申し訳ないが、安倍総裁の言葉には古き良き日本の再興を目指そうとしているように感じられる部分がある。もちろんそんな単純に過去に戻るという話ではないことはわかっているが、過去に倣って栄光を取り戻そうとしても多くの場合には上手く時間は巻き戻らない。一方で、橋下市長率いる維新の会はどちらかと言えば古きを壊して新たな土台を作ろうというものであろう。
そして、マスコミはその両者を非難する。だとすればマスコミが見ている時間軸はどこにあるのか。過去にもなく未来にもない。あるいは全く違う未来にあるのかもしれないが、その未来への道筋は全く見えてこない。というか、マスコミは基本的に現在を嘆きながら現在を最大限肯定しているのだなと思うのだ。
現在を変えたくない、すなわち現状の体制における最大の受益者はマスコミなのではないだろうか。リアルな過去をわざと忘れ困難だが新しい未来も望まず、若者の声には難癖を付けただ夢のような理想像を語る。少し前に惚けた高齢者の事を「恍惚の人」と呼んだりした事もあったが、それはマスコミにこそ与えられるべきではないかと感じたりするのである。