Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

小泉と橋下と経済政策

言わずと知れた両者とも多くの国民の支持や期待を集めると共に、一部の人たちからは極端に嫌われる。およそ多くの政治家は、強固な支持基盤無しには敵を作ることを望まない。一時的には立派なことを言えども言葉で終わり現実には難しいとお茶を濁す。それ故に、責任を取りたくない官僚とがタッグを組んで現状がある。
小泉元総理もそうであったが、外向的にはタカ派でありながら内政的には小さな政府と自由競争を主張する現状を見ると、両者の弁舌の巧みさも重なって非常に良く似た雰囲気を醸し出している。仮に小泉改革が成功であってそれが後の政治の停滞により頓挫したのであれば、同じ系統の政治家が再び脚光を浴びることは必然であるかも知れない。
ただ、私は個人的に小泉改革とは政界の人事改革であったとしか考えておらず、経済政策についてはむしろ悪影響の方が多かったのではないかと思っている。その見地に立つならば、改革のイメージを醸し出したいが故の同じ様な新自由主義信奉のブレーンを集めている現状には少々危惧を覚えている。

私は、多くの識者が主張する橋下大阪市長ファシズム的な行動を恐れているのではない。教育改革や公務員改革についても必ずしも方向性は間違っていないと思う。やり方に稚拙な部分があるのはその通りであるが、それらは修正しつつ必要な部分を変えていけばよい。変えなくて良いというものでは無く、かつ最も抵抗の激しい分野であることを思えば、それを駄目だと言い切れないと感じている。
ただ、唯一かつ決定的に気になるのが経済政策である。現状、橋下市長の周りにいる経済ブレーンは小泉内閣の時とあまり変わらない。すなわち、橋下市長はその方向正を正しいと認識してるのであろう。
私の認識と橋下市長のそれを比べるのもおこがましいが、それでも小泉時代の経済政策の総括が為されないままにあたかもそれが正しく今後の日本の処方箋になるとして扱っているとすれば、やはり大きな危険性を感じるのだ。
以前にも書いたことがあるが、改革と成長は大部分において別の問題である。今の日本に最も必要なことは成長であって、改革がその成長の足を引っ張るようなことがあってはならない。むろん、改革を進めることにより成長を阻害していた要因を排除するという大義名分があるのは知っている。ただ、改革はあくまで公平性を保つために必要なものであって、それが直接成長を促すとは過信しない方がよい。橋下市長を含むブレーン達の言説はそのあたりがかなり曖昧であり、あたかも変えることが成長に繋がるが如く言っているように聞こえる。

私は、維新の会や橋下市長の存在を無下には否定したくはない。それは時代の要請があるからこそ登場してきているのだと思うからである。ただ、その要請が求めていることは万能に対応するスーパーマンではなくて、やるべきことを確実に行う姿ではないかと思うのだ。正直言えば、既存体制と呼ばれる固定化された不平等を打ち破る突破口としての彼の存在は大変魅力的ではあるが、それ以外の場所に手を出す彼らは危なっかしくて見ていられない。それ故に維新八策の不十分さについても触れてきた。
もし仮に、マスコミの否定に抵抗するため進んでしまう自己のスーパーマン化が、橋下市長の自らを見る目を狂わせつつあるとすればそれは非常に怖いことである。あたかも維新の会が第一党となって政権の中枢に座るがごとき報道もあるが、維新の会に相応なのは守りに入りがちな体制を監視して叱咤する姿ではないかと思うのだ。まあ、私などが外側で見て勝手に想像したからと言って何が変わるわけではないが、橋下市長が最も生きる方法は何であるかをしっかりと考える必要があるだろう。
繰り返しになるかも知れないが、橋下市長の長所は経済政策にあるのではない。ところが長所である部分以外がスーパーマンに祭り上げられたことで暴走するとすれば、それは非常に困ったことだと思うのである。