Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

違う人生

「人生をもう一度やり直すことが出来たならば。」
多くの人が一度は考えた事がある思考ではないかと思う。かく言う私も何度もそれに思いを馳せた事が幾度となくある。人生の選択において私は何度も失敗や誤った選択をし、それに応じて挫折を経験し多くの人に迷惑をかけてきた。そのミスを取り戻す事が出来るのであればと考えるとき、「新しい人生」を考えるよりも「人生のやり直し」のことを考えてしまう。
なぜやり直しを選択しやすいかは明らかだ。それは未知の世界に漕ぎ出すのではなく同じ記憶をたどる事を目指しているからであり、自らが失敗だったと思う部分のみの修正を図ろうと考えているからでもある。もちろん人によっては同じ人生を繰り返したくないという人もいるだろう。ただ、未知への不安を乗り越えるだけの動機付けを得るような大きな不幸を経験する人はやはり多くはない。

やり直しは、それまでの道のりの記憶を持ったままでのやり直しであるからして、自分が心に刻み込んでいるやり直したいポイントは間違いなく回避できるであろう。ただ、ふと思うのだ。同じ人生を歩んだときに、同じ思考形態で同じように生きていくとき、その人生は違ったものになるのだろうかと。
確かに、許せない過去の決断を知っている範囲で回避できるかもしれない。しかし、その結果生み出された新しい人生において同じような間違いをしでかさないと誰が言えるのだろうか。むしろ、生き方や考え方が変わらなければ別の場面で結局のところ似た選択を繰り返してしまうのではないだろうか。
あるいは間違った選択を修正した上に得た選択ではあるが、その結果に本当に満足できるのであろうか。あくまで可能性の問題なのだが、私達が下してきた人生における選択とはそれが仮に後日間違いであったと悔やむものであったとしても、生き方として回避不能のものだったのではないかと思うのだ。

無論、その小さな回避の結果として違う人生を歩む事が出来、それの方が幸せをつかむことになるケースもあるとは思う。だから、やり直す事の全てが無駄なことだと言うつもりはないし、そもそも人生のやり直しなどはあくまで頭の中で行うものに過ぎない。現実に行えるのは、一定の経験をした後で若返ることなく違う人生に再チャレンジすることでしかない。そこでは、失ってしまった時間は取り戻せないという前提が存在するし、多くの場合はまっさらな状態で出直せるわけではない。多くの過去のしがらみに拘束されながら、いかに新しい気持ちでチャレンジできるかという命題を抱えている。
加えて、仮に人生をやり直し問題ある事象を回避できたとして、同じような失敗を繰り返さないように常に気を配り続ける人生が果たして望むべきものなのか。結局のところ、人生のやり直しは自分自身の生き方や考え方を変えての再チャレンジとなる必要がある。それが成功に至るか失敗に至るかは誰にもわからないであろう。

だとすれば、仮に時間浪費のハンディを受けたとしても、あるいは過去の断ち切りがたいしがらみを抱えていたとしても、私達は次のチャレンジを試みるべきなのだと思う。ハンディがあるのは当然だ。その分、新しい人が持ち得ない経験という多大な情報を有しているのだから。成功経験は私達に満足を与えるが教訓はもたらさない。教訓という最大の利益を得る事を考えれば、再チャレンジをひるむ必然性はない。
再チャレンジを躊躇う最も大きな障害物は、自分自身の不安なのだ。もちろんそれがもっとも難しい心理的障壁であるが、違う人生を得ようと夢想ではなく本当に考えるならば、再びの人生を考えるよりも新しいチャレンジを追い求める方を選択すべきであろう。