Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

自己愛

韓国や中国の狂乱を見るに付け、日本人と比較して相対的に「自己愛」が過多なのだなと感じずにはいられない。良く言われることとして、中国人や韓国人は施しに対して感謝よりは屈辱を感じるとされるが、施したつもりの側から考えれば理解できないメンタリティとなる。もちろん、彼らには彼らなりの論理があるのであろうが、それを理解することは表面的にはできたように見えても実際には困難である。そして、彼らの不満が解消されるのはその心理が理解できる状態に日本が至った時と思っているのかも知れない。どちらにしても、本当の自分たちはもっと認められ尊敬されるべきであるという一種若者独特の感覚が見て取れると思うのである。

 もちろん、私が現実に接したことのある中国人や韓国人たちは、それなりの知的層にある人たちと言うこともあり非常に冷静で穏やかであった。今回の暴動でも、多くの人たちが自分たちには関係ないと迷惑そうに考えているのは日本における抗議デモなどの場合ともそう大きくは変わるまい。心情的には自国を応援するとしても、無用のトラブルを喜ぶのは一部の愉快犯か確信犯に限られる。行動に起こすという意味ではそのとおりではあるが、だからといってそれでは日本が好きなのかと聞かれれば、嫌いだと答えるのがやはり多いのである。面倒な事はしたくないという程度の関心だということにすぎない。
 確かに政府や一部の組織主導で行われているという面はあるのだろうが、それでも広く庶民に根付いているメンタリティは反日であり、特に若者の間には文化を通じての親日的な面と愛国教育による反日的な面が同居しているという複雑怪奇な状況になっている。知識人達が冷静でいられるのは、逆に言えば一定の社会的地位と所得を得ているからであり、それがなければ愛国教育から来る自己愛の奔出を抑えきれない人たちも多い。

この自己愛については、近頃映画化が予定されているこんな漫画作品からも見て取れる。
俺はまだ本気出してないだけ(http://www.ikki-para.com/comix/orehamada.html
この作品をどのように評価するかは様々あろうが、単に痛い存在として論評するよりは投影された自己の肥大化や自己愛の大きさを考えると、中国や韓国の狂乱と少し似た感じがしている。実際には、この漫画に登場する主人公が暴動を起こす訳でもなく暴れる訳でもない。むしろいたって温和しい(というかだらしない)人物である。
ただ、自分はもっと素晴らしい存在なのだ(あるべきだ)という自己認識が現状の悲しさを支えている。別に韓国や中国で暮らしている多くの人が悲惨とは限らないが、不平不満を日本に向ける多くはやはり現状の自分には満足していない。それは自己研鑽が不足していると考えるのではなく、自分の能力に見合った処遇を受けていないと考えている。韓国がことあるごとに大国を装う姿を見ればなんとも似ているではないか。

だから私達日本人はむしろ彼らの激情を、自分たちにはない特別なものとして感じるよりは、過多なる自己愛の奔出の日本人とは異なるパターンだと考えることが妥当ではないかと思う。
自己愛故に、論理は隅に追いやられやすい。感情が全てを支配してしまうのだ。個人レベルならともかく国家運営としては非常に下策だとは思うが、それでも対応する日本としては付き合わざるを得ないところに悲しさがある。
もっとも、それは人間関係でも同じであろう。