Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ルールを守れない高齢者

「今時の若い者は。。。」とお馴染みのステレオタイプな言葉ではあるが、現代社会においてはむしろ「今時の年寄りは。。。!?」と言った方が良いかも知れない。日本だけの特徴ではないかもしれないが、基本的に年長者には敬意を払うことが社会の慣習であることもあって、個別に囁かれることはあっても社会全体として年寄りのルール無視に表だってスポットが当てられることは少ない。
ただ、現代社会に適合し切れていないという意味で高齢者のルール離脱は今後の社会問題となる可能性を大きく秘めているのではないかと感じる。今後益々高齢化により高齢者の人口比が増えると言うことも大きな要因ではあるが、それと同時に社会が期待するほど高齢者が社会の変化になじめないことがあるのではないか。

電車のマナーについて言えば、確かにマナーの悪い学生もいるだろうが私の感覚では中年女性の方が疳に障ることが多い。もちろん気になる部分は人それぞれで感じ方も様々ではあろうが、事立てて若者の方がマナーが悪いとは思えない。むしろ最近の若者の方がおとなしい人も多く、傍若無人な振る舞いはむしろ年配者の方が多いように思うのだ。もっとも、高齢者でそこまで迷惑を感じる人は電車では少ないが、これも単に乗る人が少ないという事によるのではないかと感じている。
もっとも、悪意をもって迷惑をかける人はそれほど多くはなく、現実には迷惑をかけていると言うことを認識できていない場合は結構多い。電車の中でのヘッドホンの音漏れや化粧や香水の匂いについては、迷惑をかけていない(というかまわりの人が気にしていない)と考えているからこそ大胆に行える。それが極まれば文句を言われるまで厚かましく、、、とエスカレートしてしまうものであり、それは自制能力に大きく依存する。この自制心が保てないものをマナー違反だと定義づけるとすれば、若者のそれは気づかず行うものが多く、中年のそれは問題があることを知りながら甘えており、高齢者のそれはもはや自分を変えられないことからそこに至る。
まあ、この分類はステレオタイプ過ぎるものであって現実には様々なケースがあるだろう。ただ、人は年を経れば経るほどに自らの生きてきた方法論を変えられなくなるのは事実であろう。高齢者はルールを「守らない」のではなく「守れない」のである。

もちろん全く守ることが不可能でもないだけに問題はややこしくなるわけだが、一部には変化するルールに比較的容易に対応できる高齢者もいるだろうが、同時にかなりの努力をしなければ守れない人が存在する。若いころの努力は大したものでは無いかもしれないが、年を経れば経るほどに肉体的なもの以上に頭脳的又は精神的に対応が難しくなっていくのだ。
それは何も今始まったことではなく遠い昔からだが、近代社会におけるいくつかの条件が重なって過去よりも随分ハードルが上がっている。
・高齢者人口の増加は高齢者の絶対数を増加させている
・平均寿命の延伸はより高い年齢の高齢者を生み出している
・社会変化の迅速化は高齢者が人生を重ねてきた時代とは大きく異なる環境を生む
基本的に、高齢になればなるほど社会変化について行くことは難しくなる。社会の中で高齢者の数が少数の場合には、それを無視して(すなわち老人は自分にあった生活をしていて)も社会はあまり重荷に感じずに成長を続けることができた。ところが、社会変化は益々激しくなり社会の速度について行ける高齢者は減少し、加えて高齢者社会と呼ばれるほどの人口構成の変化である。社会全体としてその存在を無視して行き先を決めることができなくなったのだ。それが日本という国の閉塞感に繋がっているのかも知れないが、高齢者の意思を無視して政治ができないと言われていることにまさに繋がるのだ。

物事を平等に考えようとすれば、高齢者の意見も若者の意見も同じ比率である必要がある。その結果高齢者の意見が多数を占めるとすれば、それは確かに数の上での社会の意思かもしれないが、同時に社会を縛り付けるものにもなりかねない。社会とは個人の集合体として成立するが、多くの無意識を受けてまるで生き物のように様を変えていく。それを否定したからといって何が大きく変わるものでも無かろう。
仮に社会の進歩について行けない高齢者が今以上に増えた時、その事実は社会の成長を本当に縛ってしまうとすれば、状況によっては私達は何らかの決断をしなければならないかも知れない。間違ってはいけないが見捨てるというのではない。ただ、未来に対する判断主体としての適格性を欠くようになるのではないかと考えてしまうのである。その点についての平等性に議論が必要となるかも知れない。彼らは、ルールを守らないのではなく変化についてこないわけでもないのだから。