Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

高齢者の逆襲

 日本でも貧富の差が広がりつつあることが意識され始めているようにも思う。ジニ係数(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8B%E4%BF%82%E6%95%B0)が高まりつつあることが報告されているし、一部には日本のそれが暴動発生の可能性のあるレベルと指摘する声もある。労働者の平均所得が永らく伸びない中、社会の不公平感が高まっているという見方もできるかもしれない。
 しかし、年代別でみた場合高齢者の不公平感が最も高まっているのではないだろうか。年代別でみれば日本の個人が持つ資産の大部分(おおよそ2/3程度と言われる)は高齢者が保有しているとされる(http://diamond.jp/articles/-/38459?page=2)。すなわち、社会全体の世代間闘争においては高齢者は勝ち組となる。しかし、一方で高齢者内の格差は若者よりもずっと大きい。資産を有するものは、その資産を用いて収入を得ることができるが、持たざる者は年齢から大した働きもできないことが理由である。
 高齢者世代内の格差については、過去からどのように変化してきたかを明確に示すデータは見つけられなかったが、内閣府ホームページ(http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/zenbun/s1_3_1_02.html)には世代内格差の存在を重要視する文言が書かれている。

 社会全体を広く見れば、いま日本国内において持てる者は高齢者と企業であり、持たざる者は若者と言う大きな枠組みになるのだが、詳細に見れば大きな枠組みだけでは語れない問題が見えてくる。若者たちは持てる者というイメージから高齢者を攻撃するが、その攻撃はおそらく実際に持つ者には届かず持たざるを高齢者に届いてしまうのではないかという懸念である。
 そして、持たざる高齢者たちは自分たちを攻撃してくる若者や、あるいはそれを陰で支持するマスコミに対して密やかな憎悪を抱く。その動きは決して目には見えてこない。ただ、相互不信の種が着実に育ちつつあるのではないかと思う。混乱はマスコミの存在できる土壌を生みが、それにより国民を幸せになる訳ではない。うがった見方ではあるが、イデオロギー闘争の仕掛けに失敗したマスコミは世代間や男女間闘争、あるいは社会的弱者による反乱を次の飯のタネにしようとしているのではないかと勘繰りたくすらなる。
 そして、恵まれない高齢者による無意識的な社会攻撃の芽生えを醸成する。

 軽井沢での高速バス事故について、私が最初に受けたショックは事故を起こした運転手の年齢であった。長距離トラック運転手や長距離バスの運転手には、基本的に一定以上の体力が必要だと思う。現代の高齢者は昔よりも体力的には勝っているのかもしれないが、それでも70歳以上で免許更新に大きな制限を設けているように、年齢を重ねると運動能力や判断力、そしてそれを持続するための基礎体力が不足してくる。
 事故直後はバスの機械的トラブルも想像されたようだが、その後の調査発表からは運転手の技量不足を原因とする声が多かった。しかし、私は技量云々を語る前に年齢からくる体力不足の問題をもっと強く議論すべきではないかと思う。
 別に高齢者の自爆テロの可能性を言おうというのではない。ただ、生産年齢人口の著しい減少と日本社会は向きあわなければならない。それ故に、女性の社会進出、高齢者の活用、機械化のさらなる進展、そして移民政策の導入が常に議論の的となる。
 その中で、高齢者が適切な働き方ができる社会をもっと考えなければならないのではないかと思っている。私は高齢者も適切に働く方が良いと考えている。それは、社会の福祉コストを引き下げることにもなり、それ以上に高齢者自身の生活の質を引き上げてくれると思っているからである。
 高齢者を社会の中心から排除して別枠に置くのではなく、しかし放置して自己責任の渦の中に投入するのでもない。そういう社会を作る必要があるのだと思う。これまでの社会は前者を指向して、高齢者を難民のようにしてしまったと私は考えている。だからといって後者に振れれば高齢者は社会に対して意図せずとも逆襲をすることになるだろう。
 どのように考えるべきかは私自身まだ考えがまとまっているわけではないが、その問題点について今後も考え続けていきたい。