Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

テレビの先祖がえりとショーンK

 正直言って興味が無かったので触れないつもりで放置していたのだが、予想以上の社会の盛り上がりを受けて少しだけ雑感を。まず、私はショーンK(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3K)さんと言う人を全く知らなかったので特に個人としての興味はない。ただ、今回の問題を受けてのメディアの反応には相変わらず脱力している。こうした脱力はいつものことなので今さら感慨がある訳ではないが、テレビというマスコミの在り方を考える上では興味深い。

 基本的にテレビ局がショーンさんを採用したのはネット上の情報や写真を見る限り、彼のルックスと優しい語り口に最も高いポイントであったのだろう。コメンテーター採用時に経歴がどれだけ重要視されたかはよくわからないが、コメントの中身はそれほど重要視されていたような感じは受けなかった。経営コンサルタントと言う事象の職業も一体どれだけ影響していたか。それ故に、経歴の偽装もある程度のレベルをクリアしていれば、バッシングは受けただろうが今回ほどは問われなかったと思う。実際、メディアはいろいろな知識人をコメンテーターとして登場させているが、そこにダンディーな「イケメン」はほとんどいない。だから、本来単価が高くて使いにくい芸能人までが報道風番組に進出している。すなわち、芸能人枠とは別にそれなりのコメントを発することのできる「イケメン」は非常に貴重な存在なのだ。
 一方で、経歴のみを取り上げれば凄いと言える人などある意味世の中にでごまんといる。しかし、それだけでは番組の盛り上がりに欠けるのだ。だから、そう言った人がキャスターにまでなることはないだろう。ワイドショー的なバラエティーは面白い人、視聴者に受ける人を出すための演出なのだから。今回はニュースメディアに出演していたことで責任を強く問われることとなったが、基本的には少し毛色の違う電波芸人枠の一人に過ぎないのだ。

 要するに、視聴率アップのためにそうした人材を求めているのが本来的なテレビと言うメディアである。私はそれを否定的には捉えない。多少怪しかろうが面白ければそれでいいのがテレビの元々持っていたスタンスだと思う。メディアとして後発組のテレビとは、そうした挑戦的な存在だったのだ。黎明期には、新聞との地位(信頼性)の格差に足掻き続けてきたのだから。
 ところが、ある時期から給与面では新聞を追い抜いたりもした。ステイタス的にはまだ追いつかなくても、かなり近づくレベルに他達した。自尊心的にはかなり溜飲を下げたのだと想像している。もっとも、現在ではネットの情報拡散能力に駆逐され始め、あるいはネットを中心にやり玉に挙げられごく一部の社員しか高給の恩恵にあずかれないようではある。それでも、自らの地位を向上させるという一定の目的を達したのだと私は感じている。そして今や守りに入ってしまった。得た地位をそのまま守ることに汲々とし始めたのだ。
 かくして地位(立場)に縛られた結果、どんどんと面白さを無くして行きつつあるのがテレビと言うメディアである。視聴率の凋落は、SNS等の発達もあるしネットの隆盛も間違いなくある。しかし、それと同程度にテレビの内容がつまらなくなったということ。これは既にいろいろな場所で触れられていることでもある。ネットの方が自由で面白いから人が離れていく。ネットの方が為になる。だとすれば、テレビがそれに抗うためには面白くしなければならない。

 何が言いたいのか。ようやく得たポジションを維持したい(高尚を気取りたい)のであれば、事前の身辺調査や人を見る目が甘すぎる。一方で、人選が間違っていないと考えるのであれば彼を擁護し開き直るべきではないかと思うのだ。そして、本質的に後者のメンタリティを出発点にしているにもかかわらず前者を気取るから矛盾が生じている。テレビは自ら持つエンターテインメント性にもっと自信を持つべきではないか。
 確かに、今ネットで出回っている情報を見る限り彼の経歴のごまかしは度を過ぎているように思う。想像ではあるが、最初は自分を高く見せかけるための演出だった。それがとんとん拍子に成功してしまったために、引き戻せなくなったというのが実際のところであろう。有名にならなければ問題になることはなかった。まさか、自分がそこまでの地位に登りつめるとは考えてもいなかった訳だ。
 一方で、経歴関係なしに真に能力がある人でもテレビ的に使えなければ無視されるということの裏返しを今回の件は明確に示している。テレビは決して認めることはないだろうが、メディア上で踊れる者しか使わない。それはそれでいいではないか。そう言う存在だと開き直ればよい。自らの本質を見直せばよい。

 今のところ各局は、他人事を決め込んでいる様である。むしろ被害者のそぶりを見せているようにも見える。しかし、それは最も中途半端で不味い方法だ。波風を立てないための方法ではあるが、テレビが向かう方向をあやふやなままにしてしまっている。
 こんなことできやしないのは判っているが、「経歴は虚偽でしたが使えるので、今後も使います」くらいの潔さがあった方が批判会設けるだろうが面白い。まあ、ネットスクラムによるスポンサー攻撃は地味にダメージになるようだから、できるわけないのはわかるのだが。

 ただ、なんだろう。今回の件を通じてテレビの凋落は今後も続くのだろうなと言うことを感じずにはいられなかった。