Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

なぜ日本の若者の意欲が低いのか

 結構前から日本の若者の安定志向が問題とされている。公務員志望が非常に高くなり始めたのはバブル崩壊以降のことだと思う。景気が悪くなればそうなるのはわからなくもない。ただ、安定志向という言葉でまとめるのは今やおかしいようにも思う。むしろ、チャレンジを畏れる、大成功を夢見ない、そう言った方がいい。特に言われるのが、海外へのチャレンジ精神の欠如である。留学者数の減少もあるが、企業就職後も国内勤務を求める者が多いと言われているようだ。この問題について、作家の堺屋太一氏が以下のように書いていた。

「欲ない、夢ない、やる気ない」……現代日本の最大の危機はこの「3Y」にある 作家・堺屋太一http://www.sankei.com/column/news/160302/clm1603020006-n1.html

 さて、堺屋氏が言うように若者には欲や夢が無いのであろうか。もちろん夢が無い訳じゃない。彼らは間違いなく欲も持っている。ただ、夢を成就させるための気力を発しているいないのが同時に感じ取れる。すなわちそこでは、若者たちが夢を追うリスクに敏感になったのではないだろうか。例えばアメリカにおいても、かつて若者の希望だったアメリカンドリームも現在ではほとんど機能していないと言われている(http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110916/222672/)。日本でもアメリカでも、若者たちはチャレンジの代償がその努力に叶うだけの結果をもたらさないと認識し始めているようだ。

 さて、この問題は何も若者の話だけではない(http://president.jp/articles/-/16992http://diamond.jp/articles/-/35822)。かつてバリバリの企業戦士であった人たちにとっても、昇進が見えてチャレンジする人とその希望が潰えて身の丈に合った安定志向を目指す人に分かれているという。しかし、考えてみれば自分の将来の限界を見定めてしまったら、そこからは保身に走るのが人間というもの。夢を自分で抱くのではなく、夢は周囲の環境から与えられるものなのだ。

 繰り返すが若者たちが欲を持っていない訳ではない。ネット上で公開されているライトノベルでは俺Tueeee系という小説が人気を誇っている。ここでは、多くの場合大した努力もなしに有利な状況(特殊能力等)を得た主人公が活躍する物語だ。昔からあったスタイルではあるが、それがネット小説において席巻してる現状を見れば自分がオンリーワンの強さを誇りたいという気持ちを代償行為としてラノベで得ているようにも見える。
 さらに言えばこうしたTeeee系小説の中でも、圧倒的な強さを有しながら何もしない(実際には、自分に降りかかるトラブルを回避するためだけにその力を行使する)というパターンを良く見かける。気付けば周囲にはハーレム状態が広がっている。誰もが自分の能力に敬意を表し近づいてくる。そして、多くの場合主人公は元々ニートや社会において成功していなかった若者(時に中年が若返る)なのである。

 こうした小説からは、欲はあるがそれをギラギラと表には出したくない。そんな感じがなんとなく伝わってくる。努力をしないで成功したい。しかし、成功したいということを明らかにはしたくない。普通でいながら楽をしたいという心理が何となく見受けられる。
 もちろん、小説の傾向をもって全ての若者がこうした傾向の心理状態にあるというつもりはないが、公務員を志望する一つの形何となく見えてくる気はしないだろうか。実際には公務員になったからと言って思っているほど楽ではない職場も多いし、マスコミを中心としたバッシング等もあり安穏とできる職場ではないと私は思うが、それでも終身雇用が崩れている現代日本社会を見ればまだましな行先に見えるのだろう。

 では、なぜ学生たちは総体としてチャレンジしなくなったのか。一点においては頑張らなくても一定のレベルの生活が送れるというイメージがあることであろう。社会的な貧困が問題視はされているが、それでもある程度のレベルの企業に就職できれば食べるのに困ることはない。更に親の力を借りればもっと余裕が持てる。
 それは、かつての日本からすれば理想そのものではないが形だけで言えばかなり理想に近い。しかし近づけば近づくほどに私達は明確な目標を失っていく。大人ですらそうなのだから、子供達や若者が自分の強い意志を示せないのは当然かも知れない。かつてのアメリカンドリームや中流階級を目指すと言ったようなわかりやすい目標を立てにくくなっているのだ。

 もう一点は、チャレンジを忌避するような仕組みが社会に蔓延していることがあろう。組み体操が必要かと言われればそうとは思わないが、今の社会は子供達から危険を取り除くことに躍起になりすぎている。危険を排除するという正論は、内的には効果を上げるが外的には心身を弱くする。実は、社会全体の教育姿勢が若者のチャレンジをさせない方向にゆっくりと誘導しているのだと思う。
 日本は一度失敗するとなかなか立ち直りにくい国だと言われる。絶対そうだとは言わないが、失敗しないような生き方は基本的に推奨されている。ドロップアウトしても、別の方法で這い上がってくる道はいくらでもあるが、それが尊敬されるのは成功したあとのみなのだ。こうした風潮もまた、若者のチャレンジを抑え込む方向に作用している。
 子供の頃から危機を経験していないから、ストレス耐性も低くなっているというのはあるだろう。耐性が低くなればその分チャレンジはし難くなる。必要なことは、失敗を数多く繰り返させること。そして、それを社会が許容すること。できることなら、高校や大学がそのための受け皿と成って欲しいものである。大人達の自己保身の場所とは成らないで。