Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

高齢者共和国

 「高齢者の高齢者による高齢者のための社会」リンカーンの言葉ではないが、高齢者のケアは随分昔から叫ばれ続けているものの増加のスピードが速すぎるためだろうか、あるいは経済成長の鈍化に伴い財政的な手当てができないことだろうか、はたまた社会全体の無関心が生み出しているのか多くの人たちの努力にもかかわらず状況が改善しているという感じはあまりしない。むしろ、言葉としては努力により何とか現状を維持しているという方が正しいように思う。
 行動成長期を経て社会の仕組みが村型から都市型に変わり、人々の付き合い方が根本的に変化し、コミュニティは村型の自然発生的なものから人工的に調整・努力しなければ生み出せないものに変わっていった。もちろん村型コミュニティの悪い点は多くの人も知っているとおり数々あるし、逆に希薄だと囁かれる都市型コミュニティの良い点も同様にいくらでも上げられるであろう。
 それでも地域におけるコミュニティの重要性を訴える声は減るところを知らず、だからと言って現状ではコミュニティが自律的に機能するには難問が山積みである。都市部でもかろうじて行われているコミュニティの維持は、多くの場面で若者や壮年層ではなく高齢者の役割となっていたりする。時間的な余裕を考えれば当然かもしれないが、サラリーマンとして雇われている人たち(あるいは共稼ぎ夫婦)はこうしたコスト自体を自治体に無意識のうちに求めている(あるいはコミュニティの必要性をそれほど重大には考えていない)。

 全てとは言わないものの、全体で見れば若者たちは制度的な負担(税金、社会保険料)の重圧から余裕を失い、高齢者は自律よりも甘い立場を捨てきれない。私も先達には敬意を示しできる限りのことをしたいとは思うが、現役世代にある程度の余裕がなければそれも思うに任せられない。現状高齢者は、富める者と貧しいものの二極化が顕著であり一つのカテゴリにくくることは難しい。高齢化率が増加することが予測されている今後15〜20年ほどは、貧困に苦しむ高齢者の数は間違いなく増加するであろうし、それを理由に高齢者の犯罪が社会問題化してくるのではないかと思う。それはそのまま生活保護者の増加にも繋がるだろう。
 もちろん、現状のまま推移すれば社会保障費も増えるのは明らかであり、給付削減と保険料の増加は避けて通ることはできない。ただ、これらは労働者の給与が上昇すれば負担感が緩和されるのもまた事実である。給与の上昇と物価の上昇が同時に発生すればインフレであり、根本的な解決策ではないもののインフレは社会全体における負担の一つの緩和策ではある。
 しかし、先ほども書いた通り貧しい高齢者はますます苦しくなり、全体としての最適化はなされたとしても一部の問題が社会全体に与えるインパクトは小さくない。

 世代を超えて社会全体としての均衡点を見つけるという理想には賛同するが、それでもそれを実現する方法については今一つピンとくるものがない。むしろ、高齢化がまだ当分進展し続けることがわかっている現状では、無理に全体での均衡を図るのではなく敢えて高齢者と現役世代のカテゴリを明確に分解して考えるということはできないだろうか。
 住む場所まで変える必要はないのだが、社会的なお金のやり取りは世代ごとに変えるとともに社会的な役割もなるべく世代ごとに分けて考える。高齢者は高齢者同士で相互扶助を行い、若者たちを含む現役世代はその中で役割を必要な果たす。もちろんお金を稼ぐのが現役世代の担当であることに変化はないが、高齢者の貧富の差を高齢者間で解消する。
 高齢者の社会的な問題を高齢者間で解消する。住む場所を変えるのではないが、制度的・意識的な区分を認識して一種の高齢者共和国とも言えるコミュニティを作り上げるということである。それはすなわち、高齢者が相互扶助することであって元気な高齢者は一生働き続ける(もちろんできる範囲であって、補助を現役世代が行う)。別に世代間を断絶しようというのではない。ただ、全ての世代が楽しくやっていけるという理想のコミュニティの罠に捉われて身動きできなくなるのではなく、一定の範囲での相互扶助を明確にしていき高齢者に働く場所(=稼ぐ場所)を与え、それが社会保障の負担減少につながる大胆な仕組みを導入してはどうかというものである。

 コミュニティという甘い言葉は私たちに夢を与えてくれるが、その実態は理想的であることなど存在しない。私の意見は細かいことを無視した暴論だと正直自分でも思うのだが、だからと言って現状が理想でないことを嘆くだけでは何も変わらない。
 高齢化率が一定の収束を見たっときはまた別のスタイルが必要となるだろうが、今現状では思い切った手法が求められるのではないかと思う。