Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

触媒地域づくり論

 地方の疲弊が本格的に目立ち始めた特にここ20〜30年、日本中のあらゆるところで独自色を打ち出そうとした地域づくりが行われている。歴史的な街並みや景観、景勝地や史跡、アニメキャラクター利用、オリジナリティある食文化、先進技術導入によるITC化、etc。一部では成功事例と呼ばれるものもあるが、何をもって成功とするかの定義自体が実のところ曖昧である。
 と言うのも、当事者たちにとっては独自性があると思っている内容も、第三者からみれば他の地域で似たものが容易に見つけられると感じる場合も少なくない。イベントを行うことで一定の認知や集客を得ることができても、そのイベントが継続的に続けられるような容易なものでなければいつかは息切れする(資金面でも心理面でも)。

 もっとも、地域づくりの究極的な目的は地域の人口減少(流出)を食い止めることであり、そのためには価値としての魅力を高め職場を整備し生活基盤を作ることが求められる。それほど手をかけなくとも人が集まる大都市では、逆に集まる人たちが勝手に活動して魅力が生み出され、軽いイベントを行うだけでも容易に人は集まり規模は拡大し(全国的なメディアも取り上げ)益々人や資金を吸い上げる。
 地方の集客目標は大都市とは比べものにはならないが、それでもなかなか継続的なそれは難しい。それ故に、「まちづくりは人づくり」などとも言い換えられるがこの継続性(あるいは規模の拡大などすべて)を担当する人が支えるスタイルとなっている。行政が前に出るケースもあるが、行政担当者もいつかは所属替えがあり継続性と言う面では未知数だ。結局は地元の関係者でコアになる人材がキーマンとなる。行政担当者の全てがそうとは言わないが、自治体がお金を出してイベントを打ち続けることで安心してしまいがちな構造がそこには存在する。
 どちらにしても、社会は人により構成されるのだから人が中心になるのは間違いではないが、人間と言う揺らぎを持った不確定な存在に依存するという継続性における矛盾と直面する。もちろん人間を欠くことなどできやしないが、それに過度に依存することになるとすれば人的な差配が地域づくりを左右するということにもなるだろう。

 「まちづくりは人づくり」という言葉は、地域において際立たせたいと考えている何らかの資源を、人間という触媒により反応(活性化)させようという姿勢を示すものでもある。間違ってはいけないが、私はそれが悪いと言っているわけではない。いい人が地域づくりに真剣に取り組み、その結果としてまちや地域が活性化することは良いことだと思う。あるいは一人のキーマンが動くことで、触発された多くの人が主体的に活動を開始することも望ましい流れであろう。触媒として働く人間の輪が広がっていくわけであるから、より大きな化学反応が期待できる。
 すなわち、人づくりから地域づくりを押し進めるスタイルは地域における反応(人々の活動)の規模を拡大しようとする試みである。活動が大きくなるほどに話題性が高まり、発信力を獲得し企みに参加しようとする人を吸引する。
 しかし、この一連の動きのキーはやはり中心に位置して活動を推進していく人間であり続ける。複数による合議制は、物事を円滑に進めるには適するかもしれないが、地域の魅力や発信力を練り上げるにはフィットしない。やや強引なパワーがそこには必要とされる。

 もう一つ、多くの地域づくりは一つのコンテンツを押し出すことにより成立しているといった傾向が見出される。最初にも書いたように名跡景勝地であったり、あるいは地元出身の作家(作品)であったり、新たに生み出した料理であったりなど、ほとんどの場合は売り出せる(売り出そう)と考えたコンテンツを中心に構成される。展開が進めば付随する様々な動きも現れるであろうが、キーマンが差配を一人で担う以上あまり複雑な展開を取り仕切ることは難しい。
 もちろん、複数のコンテンツをバラバラに売り出そうとすれば、一点突破のスタイルよりもっと散々な結果に終わることは火を見るよりも明らかである。地域づくりは新興企業のチャレンジと似ている部分もあって、最も強みを持つ分野を全面的に押し出していこうということなのであろうし、これも戦略としては間違っていないと思う。

 ただ少し視点を変えて見れば、特定の人に完全に依存する仕組みが本当にまちづくり・地域づくりにとってよいのかと言う問題もあろう。そして同時に地域の資産はメイン押しの一つでしかないのかと言う問題もある。最も売れるモノを売ろうという戦略は、逆に言えばそれより少し戦略性に劣るコンテンツを切り捨てるということでもある。地域の小さな資源の中で、相容れないコンテンツを削ぎ落とし精鋭化していくということは少数精鋭作戦に当たる。ところが人づくりにより期待しているのは規模の拡大であって、地域づくりを進める中心的な人の能力に期待して不利な場面からスタートしていることになる。
 それよりも、現状よりもっとキーマンへの依存度を下げながら規模を拡大していく方法はないだろうか。私は、それを共通のものを触媒として地域ブランドを創り出せないかと考える。触媒として人ではなく何かものを利用しようということだ。
 これは、地域におけるキラーコンテンツをそれに充てる訳ではない。むしろ、これまで埋もれがちであった地域の他の資源にまで利用できるような、触媒として働くものを導入できないかと言う考えである。もちろんだからと言って人が必要なくなる訳ではない。
 具体的な内容については、これからある地方で試してみようと考えているのでここでは書かないが、地域に存在する様々なコンテンツを活性化させる存在としての触媒コンテンツ(それ自身は単独では輝く必要がない)を地域づくりに導入したらどうかと言う提案である。

 果たしてうまくいくかどうかはわからないが、人に過度に依存しない形と言うものもあっても良いと思うのだ。