Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ユーロ南北問題

ユーロは、ECC、ECと変遷を続けてきた欧州の経済共同体をより高度なものにすると共に、一つの欧州という理想を現実化するための大きな夢であった。同時に巨大な共同体をつくことで通貨としてのドルにも対抗して世界を先導する地域としてこの時代を生き残ろうとしたわけである。崇高な目的を掲げて集合したEUではあるが、現状では南北対立とでも言えるような状況に陥りつつある。
そもそもEUの一番の目的は、欧州における消耗戦を極力抑えると共にユーロという共通通貨が基軸通貨の立場をドルから奪い取ることであった。
第一次世界大戦後、基軸通貨のポジションはポンドからドルに変わった。当時は今ほど基軸通貨の意味が今ほど重要ではなかったかも知れないが、現状におけるアメリカの繁栄が少なからず基軸通貨により維持されていることは間違いない。だからこそ、ユーロがドルに取って代わるという壮大な計画が実行に移されたわけである。そして一定の通貨価値をユーロは獲得し、一時的とは言えユーロはその価値をかなり伸ばしたのも事実である。
ただし、その結果を急ぎすぎたのもあるだろうがユーロ圏拡大という敷居を広げすぎたという面があった。ギリシャ問題はまさに急ぎすぎたという結果がもたらしたという側面もある。加えて、通貨統合が財政統合まで至らない中途半端なものにしかならなかったというもっと大きな側面が現在の危機に至る直接的な原因でもあり、統合できなかったと言うことがユーロの限界を示してるとも言える。もちろん、ユーロ離脱の条件を決めていなかったことからわかるように、拡大は考えていても縮小など念頭になかったわけだ。

財政統合とは実質的にユーロ国を作り上げることであり、すなわち各国の主権を取り上げると言うことに等しい。現状でも既に金融政策は召し上げられているのだが、部分的には許せても全体に及ぶ主権を取り上げるというのは機が熟していなかったと言えなくはない。
個人的な意見を言わせてもらえれば、ユーロ統合には50〜100年ほどもの長い時間をかけて取り組むべき問題なのだと思う。それは経済的な事実ではなく人々の意識が変わる時間が必要なのであり、数世代に及ぶ認識や教育の変化を待たなければならないのだ。
ところが世界の資本はユーロの登場に歓喜した。その不完全さを知ってか知らずか、これで欧州が次の投資先として有望になると資金は多くユーロに集中した。折りしもアメリカもサブプライムローンに代表されるように不動産バブルが一部で加熱していたし、投資分野でもCDOなどの債務担保証券といった証券化商品(http://ja.wikipedia.org/wiki/Collateralized_Debt_Obligation)が生み出され拡大していたところと重なりブームは加速していった。その反動が今スペインやギリシャに生じている金融危機の遠因となっている。
なんてことはない、一時のブームに踊っていたのはそれを取り囲む全ての人たちであった。

PIIGSと呼ばれた国々は、アイルランドを除きヨーロッパの南方に位置している。ラテン系を中心としたこれらの国々は今後過去にないほどの経済の停滞(縮小)に直面する。それを乗り切るためにはインフレを許容して積極財政に走るしかないのだが、北側諸国(ドイツおよび北欧)がそれを許さない。建前上の健全財政を盾にとって結果的には南側諸国の不況を深刻化させる。
責任を負わされたくない南側諸国は我慢できる範囲で北側の意見を聞いて緊縮財政のポーズを取るが、それも長く続かないのは誰もがわかっている。お互いに矛盾を知りつつも外向的体面を押しつけ合っている様は、むしろ滑稽にすら感じられる。実情を無視した建前論が現状でもまかり通るのは、結局のところユーロというガラス細工の彫刻を壊したくないという共通認識があるからだが、それはユーロシステムを現状の延長線で立て直せるという希望を抱いているという事にも繋がる。もっともそれは同床異夢の儚い共通認識でしかないのが辛いところでもあろう。
世界経済が再び勢いを取り戻せばこの同床異夢は見かけ上解消されるだろうが、それがならない時には今以上に広がっていく。それはユーロ南北問題とも言える大きな亀裂となって、欧州経済に暗い影を落とす可能性は決して低くない。