Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

真剣さとシニシズム

物事に真剣にぶつかる姿は素晴らしいと思うのだが、普段の私達はなかなか自分でそれを実現することができない。頭の中では集中して必要なことに邁進すべきだと理解しているはずなのだが、なぜか普段には気にも留めないようなことにまで意識が発散し結果的に思い通りにならないことが多い。
なぜ私達は集中できないのか。今ひとつ真剣に取り組めないのか。世の中には集中するためのノウハウ本も容易に見付けることができる。それは集中したいと切望する人が世の中にはいくらでもいて、それにもかかわらず容易に成し遂げられないと言うことを傍証している。私も偉そうなことなど言える立場にない。日々、集中すべき事柄から逃げているのが実態だ。集中しない後付けの理由などはいくらでも作ることができる。もちろん、真剣さと集中は完全なる同義ではない。ただ、真剣さを欠けば目的の集中を得られることもないだろう。

では、人間はそれほどまでに集中できるものなのだろうか。確かに猛勉強の末に良い大学に入る人もいれば、研究に打ち込み結果を残す人もいる。芸能界などは努力すらあまり意味をなさずに、気を抜く時間すらあまり得られないのかも知れない。
ただ、それが語られると言うことはやはり集中は可能であるということでもある。容易ではないものの少なくともそれは決して手の届かないものではない。

さて、真面目で集中すればそれで物事に適切に当たることができるかと言えば、これもまたなかなか難しいところであろう。真面目であってもピントがずれていては意味をなさない。却って真面目が故に弊害となることすらある。
例えば試験勉強などでも真面目に努力したからといって、それが直接的に結果に結びつくわけでもない。それは仕事であっても同じことだと思う。真面目と言う言葉の裏の意味としては、融通が利かないとのニュアンスが見え隠れする。真剣と真面目はやはり少々違うようだ。これは集中の場合も同じであろうが、集中していてもピントが外れていればやはり効果はない。
「真面目に」あるいは「集中して」と言うのは、他のものに目も触れずに邁進することを意味する。それは物事を効率的に進める上では意味があるが、進むべき道を疑わないという意味でバカ正直で幼い感じもする。真剣とは、そこに加えて事前の検討(すなわち方向性や方法論の見定め)を自らの力でじっくりと行うことを含むのではないだろうか。
すなわち真剣さが功を奏し集中できる状況というは、すでに十分方法論などを練り上げて他の手段がないと十分理解する状況になっていることが必要なのだ。すなわち、他の事柄を無駄・興味なしと捨てきれる心情にまで至っているのだろう。無駄を切り捨てる行動なのだ。だから性格的なものも大きく影響すると思う。

一方で、世間擦れしてしまえばこうした愚直さは馬鹿げた行動のように見えることも多々ある。それは得てして否定的な態度となって現れるが、こうした態度だけに関わらずバカにするような態度のことをシニシズムと呼ぶ。言葉としては「シニカル」という言葉の方が耳に馴染むかもしれないが、日本語では嘲笑的・冷笑的な態度となる。それは愚直さを蒙昧だと笑い、より安易な方法があるにも関わらず無駄な努力をしているとまるで見下すような態度となる。
集中すると言うことは、他の可能性や方法・内容を捨て去ると言うことでもある。それを笑う事はたやすい。もっと他の方法があるだろうにといくらでも言う事は出来る。そして実際その指摘が正しい事もあるだろう。第三者的には対処の練度が不足している事もよく見えるものである。
しかし、指摘や批評は物事をサポートする力はあっても進める力は持っていない。冷笑的な態度は、自らを一段高見に置いたつもりになって物事を批評する事でもあり、同時に実践しないという意味において他人事でもある。逆に言えば、他人事でいられるからこそそのような態度を取る事ができるわけでもある。

常に冷笑的な態度でいるという事は、常に他人事であること、すなわち実践には実質的にタッチしない事。それは論理的であったり理知的ではあるかもしれないが、最も重要な事を経験していない。すなわち、無駄を切り捨てる行為である。
頭の中では容易に出来るかもしれないが、現実に無駄を切り捨てるという事は容易ではない。加えて、その行為を反省せずにすむという境地に達するのはそれなりの葛藤を経ての事であろう。愚直さは論理的でない事も少なくないかもしれないが、多くの精神的葛藤を経験しているという事で既に価値がある。
最初の方でも触れたが、真面目に集中することは自らの選択肢を無くす行為である。それは、逃げ場を封じるという事でもある。自信のないものは、逃げ場を封じるという事に恐怖を覚えてしまう。一定の時期まではいくつかの選択肢を確保しておくという事も重要であろう。ただ、それを捨て去らなければならない時期は必ず来る。
その覚悟が出来る事こそが、真剣に取り組むという事でもあり自らの成長にもにつながるのではないか。
逆にシニシズムとは、その覚悟をしないということにおいて一つの考え方ではあるかもしれないが、思考の遊びに溺れてしまう危険性を常に抱えている。

「批判的である事は重要だが、実践的である事はそれ以上に重要である。」